旅ランはするのに旅行先で走らなかった理由:走れるからできること

旅ランでもない限り、私は旅先でほとんど走りません。朝の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んで……なんてどうかしてるとしか思えません。旅は翌朝起きるのが辛くなるほど地酒を飲んで、ちょっと遅い時間から活動するものです。

マラソンを始めたばかりの頃は、練習していないと不安だから、旅先でも走っていたこともあります。でも、ケガを経て休むも練習という言葉を覚えてからは、旅先で走ることはせず。どうせ1日2万歩くらい歩くんです。観光がLSDみたいなもので。

ところがですよ、今回の富山は時間が限られているのにあえて2日間とも10kmほど走りました。「時間がないからこそ」走ったわけですが、その土地を知るのに自分の足で動くのはとても大切にしています。空気感とか街の規模とか、歩いたり走ったりすることで感じられることが多々あります。

歩いたり走ったりすれば、ほんの少しだけ、そこで暮らす人たちに近づける気がするんですよね。余所者であることには違いないのですが、すれ違う人と挨拶をしたり、道を譲り合ったりするだけで、わずかながらそこに日常が生まれるわけです。

普段ならそれを歩いてやっているわけですが、今回は時間がないから走ってみたというわけです。でも、走ってみると「これをスタンダードにしよう」と思っている自分がいました。トレーニングになるというのもありますが、なんとなく気持ちが落ち着くので。

10km程度なら1時間ちょっとで移動できますし、電車やバスの待ち時間も必要なくなります。そして何よりも、程よくお腹が空きます。これって旅においてかなり重要なポイントで、いくら2万歩以上歩いたところで、消費カロリーは知れています。

でも走ったらちゃんとお腹が空いて、ちゃんと喉が渇きます。そりゃ何を食べても美味しく感じるわけです。そう、美味しいものをもっと美味しくするために、旅先でのランニングをデフォルトにしようかなと。素敵なお店に出会うこともありますし。

走れるというのは人としての強みのひとつなのですが、意外と活かせるところがありません。終電を逃したときくらいしか「走れてよかった」となることもなく。たとえ筋トレが趣味の人なら、重い荷物を持ってあげるみたいなかっこいいことができます。

いざというときにランナーは頼りにならないんですよね。災害で避難所に避難したとして、非力だとできる手伝いも限られていて、速く走れることなんてなんの役にも立ちません。誰かの役に立てないなら、せめて自分の好きなことの中に組み込みたいなと。

もちろん、走ることを目的にした旅ランはこれまでやってきましたし、これからも年に1回はみんなが呆れるような、おかしな旅ランをやるつもりです。でもそれと観光旅でのランニングはまったくの別物。旅ランは無我の境地で、観光旅でのランは欲の塊みたいな。

その欲の塊をちょっと浅ましく感じることがあったんですが、そういった自分を全面的に出していこうかなと。人生を満喫してます感や楽しんで走っている感を出すことで、走れることをポジティブに感じてもらえるんじゃないかと。

現状では走ってない人が「走ることは苦しいこと」「走ることは大変なこと」みたいに考えていて、そういう認識をちょっとでもいいから変えていきたい。そのためにもっと走る楽しさや走ることによって広がる可能性をアピールしていく。そういうこともやっていきたいなんて考えています。

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