ライティング記事ではありませんが、フェイスブックで繋がりがある人が、他の人のTwitter投稿を、さも自分が経験したことかのような投稿をしていました。フェイスブックの友だちが5,000人みたいな人なので、かなり影響力のある人です。
そういう人もいるんだなくらいに思っていましたが、ライターでもこういうことをしている人って、それなりにいるんだろうなと思い、警笛を鳴らす意味で記事化してみました。まだ前置きですが結論を書いておきます。ライターなら盗用は絶対にしてはいけません。
なぜ盗用がいけないのか、「ダメなものはダメ」というのではなく、きちんと納得できるように解説していきます。
そもそも引用をする必要性がない
まずよくある勘違いの「盗用と引用の違い」について書いておきます。盗用はダメだけど、これは引用だから大丈夫と言う人がよくいますが、正しい手順を踏んで引用したものでなければ、意図的であろうとなかろうと人の創作物をそのまま使うのは盗用です。
正しい手順というのは、誰が読んでも明らかに引用とわかるように掲載されている状態のことをいいます。
これは文章だけでなく写真や動画も同様です。意図してなくても、自分の創作物に見えるような掲示をした場合は盗用です。ただ、そもそもライターなら、余程の理由がないかぎり引用をする必要がないはずです。
例えば心理学についての記事で「◯◯さんが言うには」というような紹介をする場合には引用を使うこともありますが、こういうケースはそれほど多くないはずです。引用か盗用かを議論するまでもなく、通常の記事において他の人の記事や投稿をそのまま使うなんてことはありえません。
特に自分のブログやメディアで記事にする場合、引用というのは虎の威を借る狐のようなもので、自分の考え方に自信がないからやってしまうわけです。自信がないから裏付けのために、権威のある誰かの言葉を引用もしくは盗用してしまうわけです。
ライターなら自分が権威になるつもりで記事を書くべきです。実際に権威があるかないかは関係ありません。自分の考えとして自分の言葉で伝えること。これができないならライターという道を歩むのはやめておいたほうがいいでしょう。
信頼を失うコストはあまりにも大きい
先ほどフェイスブックの知人のことを書きましたが、きっと彼は悪意もなかったのだと思います。むしろTwitterでバズったつぶやきをフェイスブックで紹介したつもりだったのでしょう。でも、そうだとわかるような投稿ではありませんでした。
そうなるとどういうことが起こるか。
Twitterでバズった写真ですから、すでにそれを目にした人がたくさんいるわけです。それを引用とわからないように引用すると、「この人は人の投稿をパクっている」と思われる可能性があります。もちろん引用だと理解してくれる人もいるとは思います。
でも、疑問を感じた人は次に「この人の投稿は信用ならない」となります。少し前にわたしのブログ写真を盗用されたという記事を書きましたが、もし盗用先の記事を読んだ人が、先にわたしのブログを読んでいたら「この人は信用ならない」となってしまいます。
今の時代、盗用というのは簡単にわかります。そして思わぬところで発覚します。盗用が発覚したら、その人は信用を失うことになり、その信用を回復するには長い時間がかかりますが、無自覚での盗用の場合にはそもそも信用を失ったことも気づかないまま人生を送ることになります。
倫理的に盗用は良くないことですが、それ以上に信頼を失うという社会的な制裁を受けることになります。これはライターとして致命的な問題です。それ以降は何を書いても「全部ウソ」と取られてしまう可能性があるので、物書きとして生きていけなくなります。
この信頼を失うというコスト、思った以上に大きなもので、残りの人生すべて借金を背負って生きるようなものだと考えてください。
アクセス数は重要だけど本質ではない
自分の書いた記事が誰の目にも触れない。アクセス数がほとんどない。そうなってくるとライターとしてのやりがいがなくなります。だって一生懸命何時間もかけて書いた記事を読んでくれるのが数人だったら、やるせなくなりますよね。
だからみんな、できるだけ多くの人に読んでもらうために工夫をします。煽るようなタイトルで記事を書いたり、話題性になりやすいことを選んで記事を書いたりします。でも、そんなことに意味はありません。
アクセス数は多ければ多いほどいいですし、アフィリエイトで食べていこうというのであれば、アクセス数は正義です。でも、情報発信者になりたいなら、目先のアクセス数は捨てるべきです。そんなものに惑わされて、自分を歪めるような記事は書くべきではありません。
ライターとして生きていくなら、何十年も文章を書き続けることになります。最初の3年くらい芽が出なくて当然です。文章力も拙いし、自分の考え方もしっかりしていません。なのに、ほとんどの人が1ヶ月くらいで「結果が出ない」となげき、アクセス数を増やすために目先のテクニックに走ります。
そしてアクセス数が増えるから、またその手法を使ってしまう。それでは何年修行をしても成長はありません。
- アンテナを張って情報収集をする
- 違和感があったものを自分なりに考えてみる
- 自分の考えを伝えたくなったら自分の言葉で記事にする
どんなジャンルの記事を書くにしても、この流れが基本になります。自分の言葉で語れないなら、Twitterでリツイートしておけばいいんです。自分の言葉で語れないならライターという働き方を選ぶべきではありません。
影響を受けることを恐れる
わたしたちはどうしても周りにいる人の影響を受けます。読んだ本や観た映画の影響も受けます。それはどうやっても抗えるものではありません。でも、ライティングを仕事にしたいなら、影響を受けることを恐れたほうがいい。
ライターにとって情報収集はとても重要です。文章力を高めるには上質な文章にたくさん触れるというのが重要になります。でも、それらの行為は情報を発信した誰かの考え方の影響を受けることになります。だからわたしは、情報に触れるときには「疑う」をベースに置きます。
この人はこう言っているけど、それはこの人の考え方であって別の視点もある。という捻くれた考え方を常に持っています。そうしないと、ダイレクトに情報の影響を受けてしまうからです。疑うというクッションで受けてから、自分なりに考える。
これは影響を受けにくくするだけでなく、自分なりの視点を身につけるためのトレーニングにもなります。
ただし、これをするとめんどくさい人間になります。昔から物書きには気難しい人が多いのはそのためです。すぐに同意する人はいいライターにはなれません。そして、すぐに同意するから引用(盗用)してしまうわけです。
自分の言葉で語れないなら別の道を選べ
ライティングというのはとてもクリエイティブな仕事です。なにもない白紙を文章で埋めていく。でも天才でないなら、クリエイティブであるために情報のインプットは必須です。問題はきちんとその情報を噛み砕いで自分のものにするということです。
得た情報を右から左に流すのは料理人の仕事ではなく、ウエイターの仕事です。ライティングの世界なら編集者がそれに近いでしょうか。ウエイターと編集者ではちょっと違いますが、いずれもクリエイティブである必要はありません。
自分で言葉を生み出せないけど、ライティングの世界で生きていきたい。そういう人は編集の道を選ぶほうが幸せです。むしろ、これだけライターが増えた時代ですから編集者を目指したほうが儲かるかもしれません。
もちろん編集者やウエイターには、そちらの世界での素質や技術が求められますが、自分で言葉で語れないなら、何かを引用や盗用しないといけないと文章を書けないなら、いますぐにこの世界から足を洗ったほうがいい。
武士は食わねど高楊枝。
苦しんででもクリエイターであり続ける。間違っても盗用をしてはいけないし、引用することもできるだけ避ける。これからライターとして食べていきたいなら、このことだけは徹底してください。人の言葉で誰かを動かしても、あなたが得られるのは目先の小銭だけ。
その裏で取り返しのつかないほど信用を失っているということは、忘れないようにしてください。