掃除ができない人とはできることなら一緒に仕事をしたくない理由

伊豆高原の宿「一本のえんぴつ」では、掃除を徹底することの大切さを学びました。それが顧客満足度に大きな影響を与えるからで、そして掃除だけは技術も必要なく(汚れがそれほどひどくないうちは)、誰にでもできることです。

ただ、その重要性をすべての人が理解しているわけでなく、世の中にはきれいな状態や汚れた状態にに何も感じない人もいて、そういう人がスタッフに含まれているとかなり大変なことになります。なぜならそのような人に清掃の大切さを説いてもまったく響かないから。

掃除をして欲しいと言っても、そもそも汚れている意識がないわけです。包み隠すことなく言えば、銀座三州屋エスコンフィールドHOKKAIDOもファイターズも掃除の意識が低い人がいます。私たちのお店が入っている七つ星横丁の共用部の清掃を何度言ってもファイターズさんがやってくれないんですよね。

掃除がなぜ大切なのかを説明するくらい馬鹿らしいことはないので、もう何も言わずに自分で勝手に掃除しますけど、できればそういう人とは一緒に仕事はしたくないものです。掃除が負担というのではなく、そういう人たちはどんどん汚していくから仕事が増えるんです。

私は別に掃除をしに北海道に来ているわけではありません。掃除が嫌というのではなく、限られた時間の中で何をするかを考えたときに、本来なら自分がやる必要のない掃除に時間を取られるのが嫌。ただ、他の人に任せても納得できる仕上がりにならないから自分でやるしかありません。

自分と同じクオリティを他の人に期待するのは無理というもの。掃除の大切さをわかっている人が相手なら響きますが、そうでない場合には暖簾に腕押しです。そして掃除の大切さをわかっている人は私がどうこういう必要もないくらいきちんと掃除をしてくれます。

ちょっと前に「トイレの神様」という歌が流行ってトイレ掃除をする人が増えましたが、ほとんどの人はもうやめています。でも流行る前からやっていた人は「そんなの関係ねぇ」とばかりにトイレ掃除をずっと継続しています。

私はそういう人と仕事をしたい。もちろん私はそれを選べる立場にないので、どんな人とでも仕事をしますが、あたり前に掃除できる人のほうが仕事も捗りますし気持ちいいじゃないですか。ただ人間は掃除をしたがらない生き物。

私だってどちらかといえばずぼらタイプの人間で、できれば掃除をしないで生きていきたい。でも飲食店や宿泊業は掃除をしないと生き残れないんです。良いか悪いかではなく「やる」しか選択肢がない。だから私がどれだけずぼらでもやるしかないんですよね。

掃除ができないということは、当たり前のことができないことを意味します。そういう人にまともな仕事ができるわけがありません。私は基本的に適当に生きている人間ですが、仕事くらいはきちんとやろうと決めています。伊豆高原での学びがあり掃除だけは手を抜かないように心がけています。

ただ、掃除の大切さにどのタイミングで気付くのかは人それぞれ。言葉にしなくても私のやっていることを見て、動き出す人が出てくればいいかなと。もっともファイターズさんにはもう1ミリも期待していませんが。

それだと働き損になると思うかもしれませんが、損して得取れと昔の人はよく言ったものです。損することを恐れずに、自分たちが正しいと思ったことを実行すれば必ず報われるものです。どういう形で報われるのかはわかりませんが、きっと三州屋にとってはプラスになると信じています。

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