目の前に困っている人に手を差し伸べることで得られるもの

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昨日は台湾人の友だち夫婦が東京に来ていたので、都内まで会いに行ってきました。出会いは2013年の台北マラソン。少し冷たい雨の降る中でのレースだったのを覚えています。

わたしがマラソンをすごいなと思うのは、こうやって違う国の人とも繋がれるという点にあります。もちろん、他の競技だって繋がりはできます。ただ、マラソンは出会いの数が桁違いです。

数万人の参加者とフラットな関係にあるわけです。年齢や国籍、信じる神様や肌の色も関係ありません。速いかどうかすら繋がるという意味では重要ではありません。

実際にわたしはランナーとしては大したことない位置にいますが、世界を舞台に日の丸を背負って走る人とも繋がっています。こう書くと、どこか自慢のようになってしまうので嫌なのですが、別にわたしがすごいのではないという自覚はちゃんとあります。

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ランナーとしての輪がどんどん広がっていく。望みさえすれば誰にでもチャンスは平等に与えられます。ただ、多くの人はそれを望んでないか、待っているだけかのどちらかで、自ら動こうとはしません。

当たり前のことですが、自分から動かない人が他の人の目につくことはありません。

ここでいう「動く」というのは、繋がりを求めて行動するということではなく、目の前に困っている人がいれば手を差し伸べるような行動です。見返りを求めず、ただ手を差し伸べる。

はっきり言えば、損な役回りです。

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困ってる人を助ける間に1文字でも書いてたほうが懐具合的には助かります。家に引きこもって365日休みなくライティングしてれば、会社員時代並みに稼げます。でも、その先には何もありません。

誰かのためにわたしが何かをする。それに対して喜んでくれること。

これがわたしの生きる意味のようなものです。きれいごとだと思うかもしれませんが、誰かの役に立ったかもしれないというのは、とても気持ちよく、心の深いところが温かくなります。

でも誰かのためにやっているように見えて、実は自分のためにやっています。

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だから正確には見返りを求めないというのは嘘です。喜んでくれればそれ以上の見返りはありません。そういう意味でわたしは自分のことを偽善者だとは思っています。

でも、それを繰り返していると、なぜか繋がりの輪が大きくなります。「会おうよ」と誘ってくれる人がいて、一緒に走りたいという人も現れます。

そんな自分を恵まれているとは思いながらも、自分のやり方が間違ってないんだという確信もあります。

もし、六本木にある高級マンションで暮らしたいなら、わたしの選択は間違っているのでしょう。地位や名誉が欲しいなら、きれいごとの世界で生きるべきではありません。

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わたしはそれらを望んでいないから、こういう生き方ができています。

偉くなりたいわけでもなく、尊敬されるような人になりたいわけでもなく、ただ目の前にいる人の笑顔を見たいだけ。でも、もしかしたら、そういうわたしは誰よりも欲深い人間なのではないかということに、たったいま気づきました。

欲深いというよりは罪深いのほうが、しっくりくるかもしれません。物よりもずっと価値のある人の感情を手に入れようとしているわけですから。

いずれにしても、誰かが笑顔になってくれることがわたしにとっての最優先事項です。そのための行動を続けたことが、いまの自分のベースにあることは間違いありません。

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少なくともわたしが手にしている数枚のキラーカードはすべて、そうやって手にしたものです。力ずくで手にしたわけでもなければ、望んで得たわけでもありません。

普通の人が無駄だと思うようなことを継続していたら、気がつけば手元に数枚のキラーカードがあっただけ。信じられないかもしれませんが、遠回りが1番の近道ということが世の中ではよくあります。

騙されたと思って真似て……なんてことは責任を取れないので言いませんが、そういう生き方もあるのだと、頭の片隅にでも置いておいてください。

人生で行き詰まったときの参考になるかもしれません(ならないような気もしますが)。


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著者:伊集院 静
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