バガボンドから学ぶランニングの究極の姿

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数日前にバガボンド36巻が発売されました。バガボンドがまだ数巻だったころは人気漫画だったのですが、なかなかストーリーが進まず読み続けている人も減ってきているのではないかと思います。ただ、おいらは今回発売された36巻と35巻にこそバガボンドの真髄があるように感じています。ここ最近の数巻を土を耕すだけでまったくおもしろくないという人もいますが、おいらにとってみればマラソンのバイブルとよべるような大切な物語なのです。

「腕だけで出せる力などたかが知れている」

宮本武蔵のこの言葉にランニングの極意が、いやあらゆるスポーツの極意が詰まっています。ランナーは足の力だけで走ってはいけない。腹筋、背筋、腕といったすべての筋肉と連動させてこそ走りは無駄なく美しくなる。トップランナーと市民ランナーの最大の違いはここにあります。市民ランナーは速さを求めるとどうしても足の力だけに頼ってしまいがちですが、トップランナーのフォームはどこにも力が入っていないように感じるほど軽やかです。それでいてスピードは圧倒的に速いのです。

足だけで走ろうとするから、レース後半に足がパンパンになる。おいらが最近感じていたその感覚が、まさに「腕だけで出せる力などたかが知れている」に表現されていました。

35巻に「水は完璧に決められていて、それが故に完全に自由」という言葉もあります。これはもうランニングの究極の形でしょう。自己ベストがどうとか順位がどうとかそういうものは全然関係ありません。それぞれのランナーが「水は完璧に決められていて、それが故に完全に自由」を感じられたら、そこがひとつの到達点なんじゃないだろうかと思うのです。ランナーはどこをどうやって走ろうともランナーであり、そこに速いも遅いもないわけです。

だから遅くてもいいというわけではない。いや、遅くてもいい。どうも説明が難しい。速さを求めた先に、遅くてもいいと思える境地にたどり着ければ、そこがゴールなのかもしれない。いやどうも、それも違う気がする。少なくともはっきりしているのは、戦う相手は自分以外の誰かではないということ。速さを誇示するうちはランナーとしてはまだまだなんだということです。これはランナーとしての心のあり方を示しているように感じます。

心のあり方と体のあり方、両方が揃って初めてランニングのあるべき姿が見えてきます。

それらのあり方は独立しているわけではなく、むしろ強くリンクしています。本当にあるべきランニングフォームなくして、そこに自由な走りはありません。好き勝手に走ることと、自由な走りは違います。好き勝手に走ることは無駄をともないます。無駄があると自由には走れないのです。ただ、あるべきランニングフォームも不変ではありません。ランニングフォームもまた自由なのです。もちろん「あるべきランニングフォーム」という枠の中での自由ですが。

バガボンドだけではちょっと理解しきれないところがあるので、図書館で五輪書でも借りてこようと思います。もう少し理解を深めたら、もっと上手に説明できるかもしれません。

たかが漫画ですが、やはりされど漫画です。学ぶべきことが本当にたくさん詰まった漫画がバガボンドです。話が退屈で読むのをやめた人がいれば、ぜひもう一度最新刊まで読みなおしてください。走るとは何なのか、速いとは何なのか、強いとは何なのかそのヒントが見つかるかもしれません。

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