変化し続ける世界で僕らはどう生きるべきか

イランがイスラエルを攻撃したというニュース。そしてミサイルやドローンのほとんどを迎撃したということ。戦争に対してこう感じること自体が不謹慎なのは理解していますが、「まるでガンダムの世界観だ」と思ってしまいました。

機動戦士ガンダムF91にてバグと呼ばれる円盤形の無人兵器が登場しましたが、ドローンもAIを搭載するようになるとおそらくそれに近い兵器になります。そしてガンダムの世界では主人公機がミサイルを次々と迎撃するシーンがよく出てきます。

何を言いたいかというと、戦争というのはいつの間にか私の知っているものからSFに近いものへと変わっていたんだということを思い知らされたということです。私はもちろん戦争を知らない世代ですが、戦争についての教育を受けてきた世代。だから戦争に対するイメージがそこで止まっています。


イランやイスラエルについて多くを語れる知識もありませんので、今回の件についてはこれ以上は書きません。ただ、世界はいつの間にか大きく変化しています。いまだに中国を古くて汚いみたいなイメージを持っている人がいるように、私が中東や戦争い持っているイメージもかなり古いものになっています。

サッカーのアジア大会で、大波乱の試合がいくつもありました。かつて日本や韓国、オーストラリア、中東の強豪が苦しめられたのも世界の変化のひとつです。10年ひと昔と言いますが、私たちは過去のイメージを捨てるのが苦手で、いつの間にか時代の流れに取り残されてしまうことがよくあります。

変化についていけなくて、自分の知識だけで行きていこうとする。もしかしたら、それが「老いる」ということなのかもしれません。もちろん知識や経験というものは、私たちが生きていくためにとても重要なものになりますが、そこにしがみついていたら、世界に取り残されてしまいます。


では世界についていけばいいのかというとそうでもなく、すべての人にとって「これが正解」と言えるものはありません。たとえば世界の変化とはまったく別のラインで生きるということもできます。森の奥でひっそりと、丁寧に生きるというのであれば、世界情勢なんて関係なくなります。

私もいずれはそうやって「アキナ」という名前の犬と暮らしたいものですが、いつ実現できるのか、そもそも実現可能なのかもわかりません。ただ、今は世界と繋がりながら生きています。近いところでいえば、中国と台湾の衝突もいよいよ現実味を帯びてきました。

そうなったとき、私はどう生きればいいのでしょう。中国と台湾が衝突し、日本が台湾側についたとして、私と中国の友人は敵になるのでしょうか。そこまで考えたところで、そもそもその考え方が過去に引きずられていることに気付きました。


1940年代と現代では、グローバルにおける個人レベルでのつながりがまったく違います。国の対立が必ずしも個人の対立にはつながるとは限らない。そこに何らかの突破口があるような気がします。中国と台湾がぶつかったところで、そのどちらとも関係性を崩すことなく前に進める方法。

そんなものは絵空事でしかないと批判されるかもしれません。でも、考えることをやめてはいけない。変わり続ける世界で生き抜くために必要なこと。それは思考を止めないということ。それはランニングもライティングも同じで、常に顔を上げて情報を仕入れて、変化に小さく対応していく。

それに疲れ切ったときが山奥にこもるとき。少なくとも今はまだそのときではなく、頭をフル回転させ続けて自ら変わっていくつもりです。「わからない」からといって思考を停止するのは簡単。ただ少なくともそれは私のやり方ではありません。常に新しい自分でいられるように、アップデートをし続けるつもりです。

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