昨日は朝と夕方にパーソナルトレーニングの依頼があったので、1日中都内で過ごしました。流石に皇居の桜も葉桜となっていて、春本番というより初夏の雰囲気。皇居の周りを走るたびに思うのが、人の家の周りを走ってるということ。
皇居が法律上、天皇家の所有物になるのかどうかはわかりませんが(天皇家が賃貸というのも変な話ですが)、そこで暮らしていて、周りをいろんな人が走っているわけです。私だったら耐えられる気がしません。これ以上ないくらい無意味なタラレバですが。
東京の街には江戸時代の名残があるようで、神田、水道橋あたりは道が複雑に入り組んでいます。本郷まで行くとトラックどころか猫車さえも通れないような狭い路地の先に、家が建っていたりします。都会としての東京とはまた違った1面がそこにはあります。
私は東京に憧れて関東の大学に進学しましたが、そのときに私の心を動かしたのはオフィスビルで働く人たちの姿でした。モノレールから見たのか、山手線から見たのかは覚えていません。ただ、そこで働く人たちをかっこいいと思ったわけです。
それに加えてサッカーをするなら関東だという思いが重なって、関西の大学には興味を持つことはありませんでした。関西の大学サッカーの試合を見て、「これじゃない」と思ったというのもありますが、最初の1歩はオフィスビルで働く人の姿。
神田や水道橋、本郷にもオフィスビルはありますが、私の憧れたものとは少し違って見えます。何が違うのかを上手く言語化できません。30年前と今では違って見えて当然なのかもしれませんが、その土地が持つ雰囲気はあの頃と今で、そこまで大きく変わっていません。
東京の面白いところは、エリアごとにまったく違った性格を持っているというところにあります。それは山手線内という限られた空間であってもそうで、谷根千の昭和感は他のどこにもありませんし、本郷の路地裏にある大正感もそこにしかありません。
北京や台北の街を説明するときに「東京でいえば原宿」みたいな表現をよく使いますが、街の雰囲気を伝えるときに、これほど便利な表現方法はありません。これは東京だから成立する表現で、京都や大阪、名古屋ではこうはいきません。
エリアごとに性格が違うのは、きっとそのエリアの成り立ちなども影響しているのでしょう。商人の街とか、武家屋敷が集まっていたとか。私は江戸の歴史はあまり興味がなく、暴れん坊将軍くらいしかわかりません。でも、たまに歴史小説を読むときに想像します。
参勤交代で江戸にやってきたといった場面を読み、「◯◯藩だから、このあたりかな」なんてイメージし、あの辺りは坂が多いから江戸城に行くのも大変そうとか、鷹狩りに行くにちょうどよさそうとか。そういう歴史を経て今の東京がつくられたわけです。
東京駅から今の場所にあるのは偶然ではなく、原宿があの場所にあるのも過去の歴史がそうさせたわけです。そんなことを思いながら東京の街を走っていると、ゆっくりと自分が東京の街に溶け込んで行くような気がします。
名もなき1人の男が東京の歴史の一部になっていく。何かを成し遂げたわけでも、これから成し遂げるわけでもないけど、確かにここにいて歴史を紡いでいる。そう思いながら、少しだけ頬が緩む瞬間があります。ただ東京がこちらを振り向いてくれることはありませんが。