W杯を観るのを途中でやめ、朝にニュースをチェックしなくなってから、世の中から完全に置いていかれたような状態になってしまいました。
情報がないというのはメリットもありデメリットもあります。デメリットはやはり共通の会話がしにくいということと、仮に自分の住んでいるところで災害が起きても、その被害がわからないということです。
避難勧告が出ても、テレビやラジオをつけていないと防災無線だけが頼りです。ただ防災無線はいつ聞いても聞き取りにくいものです。テレビがないというのはこういうときに弱いんだなと感じています。
だからといってテレビを買うつもりもありませんし、いまはiPadで見れるようにはしていますが、それも止めてしまおうかと思っています。少なくともいまの機器が壊れたら買い替えはしないと思います。
情報を得られないというのは大きなデメリットですが、やっぱりメリットもあります。
わたしの脳には容量があり、ひとつのことが気になると他のことが手につかなくなります。聖徳太子のように一度になんでもできてしまう人もいるようですが、わたしは同時並行処理が苦手です。
それはテレビを見ながら何かをできないということだけでなく、気になることが頭に残っているといつまでもそのことが頭に残って前に進めなくなることがあります。
テレビでは不安が高まるようなニュースが連日流され、聞きたくない情報まで入ってきます。わたしがテレビを捨てた最大の理由はそこにあります。ただでさえ情報が溢れているのに、わざわざテレビを付ける必要はないかなと。
いつも言っていることですがわたしたちには1日24時間しかなく、人生には終わりがやってきます。限られた時間しか持っていない中で、どれだけ笑えるかということをわたしは大切にしています。
コンビニエンスな笑いを求めるならテレビというのはとても優秀です。以前ほどではないにしても、テレビは人を笑顔にしてくれます。想像力をかき立てられ、知らないことを教えてくれます。
でも、もっと人の心の深いところを掴むとなると、テレビはちょっと違うかなと思います。やっぱりどこか打算的で、商業的になっていしまいます。テレビは公共事業ではありませんので、それは仕方のないことです。
ただ、そういうものに飽き飽きしてきた人も増えているような気がします。実際にテレビを持っていないなんていうのは最近では珍しいことではなくなってきました。
本当に笑顔になりたければ、やっぱりフェイス・トゥ・フェイスで人と向き合うのが1番です。SNSで何百人とつながっていてもそこはリアルではありませんし、それもやはりコンビニエンスで軽いものです。
facebookでは会ったことのない人としかつながらないという人がいますが、そういう潔さが素敵だなと思います。わたしはフリーランスですので名前を知ってもらうことが重要ですのでどんどん繋がっていますが、そういう自分をどこかで恥じている部分があります。
だからというわけではありませんが、誰かと遊んでいるときにfacebookやTwitterを見ることはあまりしません。
目の前にいる人との時間を優先しているというかっこいい理由ではなく、そちらが楽しすぎてSNSの存在を忘れてしまうだけです。すでにお伝えしたようにわたしは同時並行が苦手ですので。
それで縁がなくなる人もいるのかもしれませんが、縁があればもっとリアルな付き合いが深まっていきます。いつか平泉に移住するという企みがありますが、少なくともそのときにはSNSにいない人になるとは思います。
北の国からの黒板五郎や、北方水滸伝の王進のような生き方にかすかな憧れがあります。
彼らのようにふらっと会いに行きたくなるような存在になれるといいのですが、それは意図的に目指すようなものではなく、自分らしく毎日を過ごした結果でしかありません。
会社勤めの人は「5年後10年後のビジョンを持て」みたいなことを言われているかと思いますが、個人的にはそんなビジョンは何の役にも立たないと思っています。
そもそも5年後10年後どうありたいというビジョンは、人に言われて持つようなものでもありません。
自分の無駄になる部分を一つひとつ削ぎ落とす作業をしていると、本当に大切なものというものがぼんやりとではありますが分かり始めてきました。それは頭で分かるというよりも、心の中に確信としてしっかり根を張っています。
今はまだ煩悩まみれで、誰かに承認されていないと不安です。でも、いまそういう自分から脱却しようともがいているんだろうなという実感はあります。
ただ、ここで慌てずに一歩一歩。
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