今年も大きな問題なく誕生日を迎えることができました。43年という期間を過ごしたことになりますが、わたしの中身や本質的な部分は16歳くらいからさほど変わっていないような気がします。
もちろん、積み重ねた経験に意味がないというわけではなく、得たものはいくつもあります。でも、本当に必要なものなのかどうかは分かりません。知恵などないほうが、よっぽど人生を面白おかしく生きられるのになと思うこともあります。
42歳の1年間で何か新しいことがあったかというと、大きな流れの中では何もないような気がします。
小さいところではいろいろありました。わたしにとってとても大切な人と、かなり久しぶりに再会しました。飯能の裸足マラソンに出なかったのは初めてのことです。100kmのウルトラマラソンを走っていないのも久しぶりです。
五街道制覇をしたのは今年ですが、過ぎてしまえば話のネタにはなっても特別感はまったくありません。
浮いた話があるわけでもなければ、新しいことに挑戦したわけでもない1年。ある意味停滞の1年だったのかもしれません。ただ、その停滞の1年は種まきの1年でもあります。
撒いた種がきちんと芽を出せば、43歳からはまた違った景色が見られるのではないかと思います。
違った景色に対してビビらないこと。これが43歳のテーマです。この年齢でもまだ新しいものに感動することができますし、成長することも可能だと思っています。
多くのことを柔軟に吸収すること。43年も生きていると、たやすく言葉にできても実現するのは簡単なことではないことくらい理解しています。それでも、新しいことに挑戦するのを諦めるには早すぎます。
自分の可能性はまだ枯渇していませんし、自分だからできることもあります。
42歳最後の日に、ハルカススカイランでやらかしたのも「こんなところで終わりにするな」という、マラソンの神様からの叱責だったのでしょう。その証拠というわけではありませんが、ハルカススカイランでは新しい出会いもありました。
ここはまだ通過点でしかありません。
この先に広がる未来のために、もっと注力しなくてはいけないことがたくさんあり、反対に手放さなくてはいけないものだってあります。歳を重ねていくごとに前に進むのに必要のないものを削ぎ落としていく。
自分にとって本当に大切なものでも、捨ててしまわなくてはいけないかもしれません。そういうときに、躊躇しない自分になるのがひとつの目標でもあります。
何かを守るのではなく、何かを手にするために前に出る。
世の中には守らなくてはいけないものがある人のほうが多数派です。家族を守らなくてはいけない人もいるでしょう。会社や社員を守るという人もいるはずです。
幸か不幸かわたしには守るべきものは何にもありません。それがわたしの強みでもあり弱みでもありますが、現状を受け入れて、自分だからできることをするだけ。
もしかしたら、新しい1年に新しい出会いがあり、方向が大きく変わる可能性だってあります。これだけ自然災害が発生すると、人生を大きく変えるような災害が新しい1年で発生しないとも言えません。
そういう予想できない未来には柔軟に対応していきたいところです。
でも、今はまだ何も見えていません。目の前の仕事を一つひとつこなしていくだけで精一杯で、やりたいことばかりが山積みになっています。この環境も少し整えなくてはいけません。
できれば請けている仕事は常に午前中だけで終わらせたいところ。午後はクリエイティブな時間として使う。その環境をこの1年で整えていきます。
石の上にも三年と、この3年間は起きている時間はほぼ仕事というような日々を過ごしてきましたが、その流れを変えていこうかと思います。物書きとしてのスキルもそれなりに上がったように感じていますし。
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