ハルカススカイランの失敗からまだ立ち直れないでいます。気持ちの半分はすでに前を向いていますが、残りの半分は後ろ側に引きづられています。わたしにしてみればかなり珍しいことです。
仕事をしていても集中力が続きませんし、心がいつもどこか別のところにあります。
目標を達成できなかった残念な気持ちと、目の前の目標が消えたという喪失感。こういうときは何をやってもうまくいかないことは43年も生きているとさすがに分かっています。
ただ、仕事は山のようにありますし、来年のハルカススカイランに向けてトレーニングを開始しなくてはいけません。こうやって半分後ろを向いている間に1日が過ぎていくわけですから。
よっぽど悔しかったのかなと、自分で冷静に判断しているところです。
悔しいなんて、最後に持ったのはいつなのか分かりません。もしかしたら、人生で初めてのことのような気もします。小さな頃から「負けるものか!」というような感情が少なかったような。
子どもの頃は体が小さかったのもあり、何をやっても上手くできない子でした。少年野球でも試合に出たことはほとんどありませんし、中学時代のハンドボールも補欠でしたし、高校以降のサッカーも公式戦に出たのは数回。
基本的に「できない子」なので悔しいという感情がないというか、悔しいという感情がないから「できない子」なのか。
自分で言うのはあれですが、社会人になったくらいから、知らないうちに「できる子」になっていました。だいたい何をやってもそこそこうまくこなせます。
それはそれで、悔しいという感情が生まれません。
悔しさというのは叩きのめされて、自分のプライドをズタズタにされたときに生まれるのでしょう。そして、今回がまさにそのときだったのでしょう。もっとできるつもりだったのに、手も足も出なかった。
こういう経験というのはもっと若いうちにしていれば、人生はまた違ったものになったのかもしれません。タラレバを言っても仕方ないのですが、ただ事実として人生経験は重要だなと思います。
わたしが会社員だったころ、会社が新入社員への教育で「成功体験を積ませる」なんてことを言って、ものすごくハードルの低い課題設定をしているのを見て、この会社はもうダメだと感じたことがあります。
実際にはその会社は大きく成長していますので、間違っていたのはわたしだったのかもしれませんが、人間を成長させるのは成功ではなく失敗なのだと思っています。
多くのアスリートが「今に見てろ」というような経験をバネに成長しています。
若いうちにどれだけ失敗できるか。失敗するにはそもそも挑戦をしなくてはいけません。最近は挑戦をするという若者も減っているという話を聞きます。
万里の長城マラソンに来る若者はみんな挑戦することを楽しんでいるので、本当に挑戦する若者が減っているのだろうかとは思いますが。きっと若者として一括りにすることに意味はない時代になったのかもしれません。
それはともかく、わたしは挑戦をしないタイプの若者でした。
これは今でも続いていることですが、石橋を叩いて壊すタイプで、慎重すぎるくらい無理はしません。人生初の海外がブラジルに数週間だったみたいな無茶をしたこともありますが、挑戦だったかというとそうでもありません。
あまりにも無知すぎて、それがいかに難しいことかなんて考えなかっただけです。
この無謀さも若さの特権みたいなところがあります。さすがにこの年齢で無謀なことをするのは「愚か」な行動です。でも、挑戦を止めるのはもっと愚かなことだということに気付かされました。
挑戦するから見えることがある。大きくコケるからこそ得られるものがある。
今回の失敗をいいものにするのか、それともムダにするのかはわたし次第。そして、この悔しさは簡単には風化しそうもありませんし、この鉄が熱いうちにしっかり打とうと思います。
こういうことを若いうちに教えてくれる人がいたらなぁと、またしてもタラレバ。
まぁ教えてくれても、やっぱり危険なことからは逃げていたでしょうけどね。性格なんてそう簡単に変わることはありませんし、本当に大切なことは自分の体験から学ぶしかありませんから。
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