依存しない暮らしを手に入れるための最初のステップ

古くから付き合いがある人は知ってるかもしれませんが、わたしは作家の村上龍さんの影響を多大に受けています。最近は著書を手にすることはありませんが、大学院時代くらいから村上龍さんの本を読み始め、20代はかなりめんどくさい男に育っていました。

めんどくさいのは相変わらずというか、社会との基本的な接し方はその頃から変わっていません。誰かに依存しないこと、自分なりの視点を持つこと、自分で確認すること。他にもいろいろ学びました。今日お話しするのは、そのうちの依存についての考え方です。

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依存しない道を選んだ20代

言うまでもないことですが、わたしたちはそれぞれが影響しあって生きています。1人では生きていけませんし、仲間の存在が支えになることだってあります。だから、孤立しないことは生きるうえでとても大切なことだと考えています。

孤立しないために周りに気を遣い、孤立しないために言動には気をつける。自分ばかりを前に出さず、時には自分が支える側にまわります。「情けは人の為ならず」と言いますが、情けは自分のためにするものです。自分のしたことは全部自分に返ってきますから。

でも、誰かのために何かをすると、今度は誰かが自分に何かをしてくれることを期待するようになります。良いとか悪いとかではなく、人間はそういう思考になるようにできてきます。だから、誰かが自分のために動いてくれないとストレスを感じます。

よくある「わたしはこんなにも尽くしているのに、あの人は何もしてくれない」というやつです(今でもそんなこと言う人がいるのかどうかは知りません)。

この「誰かが自分に何かをしてくれることを期待する」ことが依存です。20代のわたしは、自分から依存する気持ちを徹底的に取り除こうとしていました。依存することは甘えであり、自分の成長を阻害すると学んだので。今でもそうだとは思います。

20代の自分と違うのは、他の人にそれを押しつけなくなったくらいでしょうか。依存している人を見てもイライラはしなくなりました。そういう生き方をしている人なんだなと思う程度で、そこに好き嫌いの基準を置くことはありません。

ただ、わたしは依存しない自分を理想としています。これは自分の強みでもあり、弱さでもあります。自分の色と言った方がいいでしょうか。世の中には長所を伸ばし短所をなくすみたいなことを言ってる人もいますが、長所は短所の裏返しなので、そんなことは不可能です。短所を消せば長所も消えます。

いずれにしても、わたしは20代で依存体質からの脱却を目指し、結果的にこんな協調性のない人間になりましたが、自分自身では結構気に入っています。

国や会社は何もしてくれない

依存しないというのは個人に対してだけでなく、国や会社といった組織に対しても同じことです。

以前、派遣切りが社会問題になったとき、わたしも派遣切りに合いました。そのときの社会の風潮は「派遣社員を守るべきだ」「会社は冷た過ぎる」といったも不満が多く、「派遣社員を守れない世の中はおかしい」という風潮が作られました。

最近、同一労働同一賃金となる法律が定められましたが、これも派遣切りが社会問題になったことも影響しています。

それはともかく派遣業界は不満の声が溢れていました。でも、そこで不満を声にしたところで何も変わりません。そのころのわたしは当然同調することなく、「そんなに不満があるなら、自分で理想の会社を作ったらいいじゃないか」なんてことを口にしていました。

これは派遣という働き方だけでなく、正社員で自分の所属する会社の悪口を言うような人に対しても思うことです。他人が作り出した儲けのシステムに乗っておいて、自分の考え方が通らないからといって不満を漏らすのはみっともないことです。文句があるなら辞めて自分で会社を作り、自分が正しいことを示せばいいだけのことなのに。

はっきり言っておきますが、国も会社も結局は個人に対して何もしてくれません。個人に対して何かをするのは国や会社のやるべきことでもありません。そういう組織が行うのは、組織という船の進路を定めるだけのことです。自分の行きたい方向でなければ降りる。ただそれだけです。

それが依存しないということです。

自分の道は自分で切り拓いていく

納得がいかないことがあったときに、不満を口にするくらいいいじゃないかと言う人たちもいます。別に好きにすればいいとは思いますが、それがポジティブに作用することは一切ないと思っています。意見をするのはいいとは思いますが、感情をぶつけるだけのSNS投稿は避けたほうがいい。

それを続けていくと、知らないうちに孤立してしまうので。

最終的に「誰もわかってくれない」なんて追い込まれるだけです。だったら、最初から不満が湧かないようにするのがいいじゃないですか。不満が出てこないようにするには仏の心を持つ必要はありません。依存しなければいいだけのことです。

「甘えるんじゃないよ」

ひと言で表すならそういうことです。

自分が進むべき道は誰かに誘導してもらうのではなく、自分で周りを見渡して決める。そこに道があっても、その先が崖だと感じたら、別の道を自分の力で切り拓いていく。そうなればストレスを感じることはほとんどなくなります。孤独にはなりますが。

でも孤独はそう悪いものでもありません。孤立は避けるべきですが、孤独は受け入れるべきものです。自分と他人の間にきちんと境界線を引く。特別な状況を除いて自分の領域には踏み入れさせず、相手の領域にも踏み入れない。

寂しいと思いますか?

そう思う人はきっとこちら側には来ないほうがいい。生き方には向き不向きがありますから。わたしは依存し合う社会のストレスに耐えられなかったから孤独を選んだだけのこと。

できるだけ手放して緩く生きる

現代はモノや情報が手軽に入手できます。でも、そのモノや情報に縛られている人たちがたくさんいます。いや、自分の立場といった目に見えないものに縛られている人もいて、がんじがらめで身動きがとれなくなっているように感じます。

そういうものをひとつひとつ手放してみませんか。それだけで随分と楽になるはずです。わたしたちは手にしているものにも依存してしまいます。それが少しでもなくなれば、孤独にならなくてもストレスはある程度減らせます。

シンプルに自分に本当に必要なものだけに囲まれて暮らす。そして、信頼できる仲間とときどき会う。それくらいで十分に豊かな時間を過ごすことができます。

この先の見えない閉塞感の中から抜け出したいなら、自分の中にある依存関係を整理していきましょう。その第1ステップが「モノ」や「情報」です。最終的に人に対する依存も減らせればもっと快適になりますが、物事には順序というものがありますので、順を踏んでいきましょう。

この週末は大きなゴミ袋を用意して、手放す作業をしてみてはいかがでしょう?

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