台湾映画「バナナパラダイス」@台湾巨匠傑作選2020

パーソナルトレーニングを終え、大きなカバンを背負って日比谷から新宿を目指す。映画が始まるまでの2時間ばかりのウーバーイーツ配達。ウーバーイーツの配達は、本来このようなちょっとした空き時間にするものなのかもしれない。ただ問題なのは、狙った場所にたどり着けるわけではないということ。

青山でピックアップをしたら渋谷に飛ばされ、渋谷から代々木まで行って新宿が近づいたのに、また渋谷に戻る。思い通りにはいかないのはウーバーイーツも人生も同じだ。関東に出てきたのは自分の意思だったが、待ち受けていた未来は想定外のもので、まさか44歳になって東京で自転車を漕いでいることになるとは、夢にも思わなかった。

別にウーバーイーツの配達を卑下しているわけではない。ただ人生は思わぬことが起き、自分の意思ですべてをコントロールできなくて当たり前なのだ。自らの力で未来を切り開いていく強者もいるのだろうが、少なくともわたしはそのタイプではない。目の前にある流れに乗って、その時々のベストを尽くす。

おそらくそれはオールドタイプなのだろう。昭和の生き方と言うほうがしっくりくるかもしれない。大きな志などなく、社会を変えるわけでもない。ただ目の前のやるべきことをがむしゃらに取り組む。時として理不尽な目に遭いながら、時として周りの人に助けられながら。そして時として逃げ回りながら。

気がついた時には、みたこともない景色が目の前に広がっている。

夢がありそこに向かって全力で取り組む人は美しい。だがわたしはそのタイプではない。嫌なことは1秒だってしたくないし、歯を食いしばって何かに取り組むこともない。マラソンランナーのように涼しい顔をして、淡々と前に進み続ける。どこへ向かっているかはわからないし、わかりたくもない。

自分の生き方とは比べものにならないのはわかっているが、国民党に入隊し中国から台湾に渡った人たちも、夢や希望を抱いていたのではなく、流されて台湾にたどり着いた人もいたのだろう。共産党か国民党か。思想で選んだのではなく、たまたま国民党が支配した地域で暮らし、兵士になって流れ流れて気がつけば台湾に。

台湾の歴史を考えるとき、わたしたちはどうしても日本側の視点に立ってしまう。日本統治時代がベースにあり、国民党が台湾をむちゃくちゃにした。外省人は悪者だとどこかで刷り込まれているのだが、それは偏った視点でしかない。外省人だって遠い祖国を思って涙しながら暮らしている人もいたわけだ。

さらに大陸から渡ってきた人たちには、常にスパイ疑惑のリスクがある。共産党のスパイが紛れているのではないかという不安が国民党にはあり、時には事実とは関係なく拷問にかけられることもあった。新宿で上映中の映画バナナパラダイスはそんな時代の歴史が描かれている映画だ。

幼馴染を頼って国民党軍に潜り込み、バナナがたわわに実る台湾に移ることになる1人の男。慕っていた幼馴染がスパイ容疑にかけられ、自分にも危険が及ぶのではないかと軍を抜け出す。そのとき臨終に出くわした男の名前と経歴、そして婚姻関係を引き継いで、戦後台湾を生きていく物語。

現実にそんなことはおきないのかもしれないが、スパイ容疑にかけられることは珍しくなく、誰にでも起こること。国民党はそれくらいスパイを恐れていたわけで、実際にスパイも紛れていたのだろう。だが無実の罪で裁かれ、人生が大きく歪んでしまう。

こう書くと暗い映画に思えるかもしれないが、劇場はときおり笑いが起こるくらい、終始穏やかな空気感が漂っていた。サスペンス映画のようなスリリングな展開はなく、恋愛映画のように胸が締め付けられることはない。ただリアリティがある。混沌とした時代を外省人でも悩み苦しみながら生きてきたという事実。

わたしのイメージする外省人は傲慢な支配者だったのだが、それぞれが苦しみを背負っていると思うと、見え方がまったく変わってくる。だからといって、国民党が台湾で暮らす人たちを抑圧してきたことを正当化できるわけではないが、抑圧する側にも人生があり、ドラマあるのだ。

誰も自分の思い通りには生きていない。誰も未来にどんなことが待っているのかはわからない。未来に対してビジョンを描くことが大切だという人もいるが、わたしはそうは思わない。わたしたちがすべきことは今を全力で生きること。

そうやってたどり着いた未来でも、やっぱり全力で生きる。そして最期のときに「面白い人生だった」と思えればそれでいいじゃないかと、わたしは思う。

台湾巨匠傑作選2020:https://taiwan-kyosho2020.com

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