docomoが格安の携帯電話プランを出し、日本は2030年にガソリン車の販売がなくなることがほぼ確定した。docomoの2980円プランは格安SIMの業者をこの世の中から排除し、ガソリン車がなくなればガソリンスタンドが消え去ってしまうだろう。
ガソリン車そのものがすぐになくなるわけではないし、ハイブリッド車は乗れるので関係ないと思うかもしれないが、もちろん関係ないわけがない。少なくともこれまでよりも売れなくなる。体力のないガソリンスタンドから潰れていくしかない。いや、賢いところはこれから10年のうちに店を閉じるだろう。もしくは充電ステーションになるか。
ガソリンの値段も上がるだろう。そうなると不便になるからハイブリッド車も売れなくなる。別に悲観的になっているわけではない。諸行無常というのはいつの時代も変わらず、いつまでも同じ状態が続くことはないのは、この世界の普遍的な決まりごと。平和な世の中も、たった1つのウイルスによってズタボロにされたのだ。
変化することに躊躇しない。それを強さと呼ぶ。変化せずに己を貫く。それも強さと呼ぶ。その間で揺れ動くことが弱さだ。周囲の雑音によって考え方をコロコロ変える。ワイドショーのコメンテイターの意見をまるで自分の意見のように語る。本人は賢くなったつもりかもしれないが、周りから見れば愚者でしかない。
自在に変化できる自分と、変化を拒む自分を両立させることはできないだろうかとふと思う。矛盾していることを語っているのはわかっている。あるときはしなやかで、あるときは堅牢である。例えば質の高い筋肉がそうであるかのように。基本的には柔軟でありつつも、譲れない部分や引けない部分では頑なにになれる。そういう大人にわたしは憧れたものだ。
いや、そういう大人になりたいと思っただけで、実際に誰かに憧れたわけではない。尊敬する人はたくさんいるが、これまでに憧れた人はいない。「この人のようになりたい」という発想すらない。他人は他人と言われて育った影響が大きいのだろう。自分と他の誰かを比較するようなことはしない。だから競争心も反骨精神もないわけだが。
わたしは変化を好むタイプだ。会社を辞めることを何とも思わないし、同じことを長く続けるとすぐに飽きてしまう。なぜかランニングだけは手元に残っているが、走り始めたときと比べて環境がどんどん変わっているし、自分の走りも常に変化している。ランニングは変化するスポーツだから飽きずに続いているのだろう。
ただ変化するのは、変わらない自分でいるためでもある。「昔から全然変わらない」と言ってくれる人がいる。置かれている環境は常に変わっているが、自分自身の軸を変えないために、環境を変えてきたような気がする。最初に会社を辞めたときも、最後に会社を辞めたときも。筋が通らないことをやり続けることができなくて辞めた。
そういう意味では、変わることと変わらないことは合わせ鏡のようなものなのかもしれない。docomoが新しいプランを出したのは、docomoというブランドが変えないために変化した結果。ガソリン車がなくなるのも、この地球環境を変えることなく、次の世代に引き継ぐため。大気の変化の裏には必ず、変化に抗う何かがある。
逆に変化に抗う何かがないと、周りの意見に流されてしまう。自分自身の軸を持つことは簡単ではないが、持つことを諦めてもいけない。自分とは何なのかを考え続け、何のために生きているのかを探し続ける。青臭いと思うだろうが、それを止めたから老いてしまったことに気づいたほうがいい。
変えたくない自分を持っているだろうか?守りたい自分はあるだろうか。それ以外をすべて捨ててでも守りたい大切な何かを持っているか。持っているなら変化を恐れることはない。暗闇に向かって思い切ってジャンプするといい。きっと対岸で手を伸ばして助けてくれる人がいるから。
いなかったら?
必死になってバランスを取って自分で立てばいい。不恰好でもいいじゃないか。それで大切なものを守れるなら。周りの目を気にして、大切なものを削り取られてしまうよりはよっぽどいい。守るべきもののために不恰好になれること。それもまた強さと呼ぶのだから。