
ようやく自転車を購入してきた。納品が12月18日になるということなので、ちょっと早いクリスマスプレゼントになる。自分で自分に仕事道具をプレゼントとして贈る中年男性という、まったくもって悲しい状況なのだが、仕事道具こそ本当に必要なものなので悪くはないだろう。
何を買ったか、なぜそれを選んだかは納品してからお伝えするとしよう。我ながら思い切った判断をした。これまでの自分では考えられないような選び方をしたのだが、ただし少しひねくれてもいるので、ネタという意味でも面白おかしく伝えられるのではないだろうか。
もう久しくクリスマスプレゼントなるものを贈っていない。誕生日プレゼントというのはちょくちょく贈っている。以前もこのブログに書いたが、誕生日プレゼントには「自分で買うのはもったいないけど、もらうと嬉しいもの」を探して贈っている。例えば1個500円のみかんなどがそれにあたる。
子どもの頃にもらったプレゼントの中で、最も残念だったのが国語辞典だ。小学校1年生の誕生日プレゼントかクリスマスプレゼントだったように記憶している。子どものことを考えてのことだったのだろうが、おもちゃがもらえると思っていたわたしのショックが大きかった。
反対に1番嬉しかったのはラジコンカーだろう。誕生日にラジコンカーの本体をもらい、クリスマスにリモコンをもらったように記憶している。2ヶ月かけてラジコンを組み立てて、クリスマスに完成するという。これはよくできたプレゼントだったと思う。
面白いことに、どしらも将来の仕事に繋がっている。いまライティングの仕事をしているのは本を読むのが好きだったことが影響しているし、機械設計者になったのは間違いなくラジコンの組み立てや操作が影響している。わたしの未来は親からのプレゼント(もしくはサンタクロースからのプレゼント)によって作られている。
こうなってくると、人に何を贈るのかというのはとても重要な行為ということになる。素敵なことというよりは、そこまで責任を負いたくないというのが本心だが、何をプレゼントされたかによって、人の人生が変わってしまうこともあるのだ。わたしが形に残らないものを贈ることが多いのは、責任逃れの気持ちもあるのかもしれない。
考えすぎかもしれないが、自分がそうだったのだから、他の人でも同じようなことが起こる可能性がある。それは美しいことではあるのだが、わたしのように気ままに生きたい人間には重たすぎる。シンプルにプレゼントを喜んでもらえれば、わたしはそれで十分なのだ。
プレゼントの面白いのは、相手から見た自分を感じられることにある。プレゼントを選ぶとき、それは相手のことを考えて選ぶわけで、例えばTシャツを贈るときに、相手に似合うかどうかを考えることになる。ということは、赤いTシャツを贈られたら、その人から見て赤いTシャツが似合うということになる。
これは新しい発見になることが多い。プレゼントでもらったラジコンが、後の機械設計という仕事につながったわけだが、親はプレゼントを選ぶときに機械系の何かが合うと考えたのだろう。認めたくはないが国語辞典もきっとそう。「この子には国語辞典が役立つことになる(なってほしい)」と感じたのだろう。
もちろん子どもの頃はそんなこと考えもしない。今だからわかることだ。しかも親がそこまで考えていたのかどうかはわからないが、思いつきでプレゼントを選ぶ親ではないことはわかっている。きっと未来の道がある程度見えていたのだろう。まさか東京で自転車を漕いでいる未来は見えなかっただろうが。
だが、45歳で自転車を漕いで連日60km近く走れるのも、フルマラソンを簡単に走りきれるのも、親のおかげなのだ。喘息持ちで体が弱かったわたしをスイミングスイマーに通わせ、少年野球チームにも入団させてくれた。体は強くなり、体を動かすことが好きな大人になり、今のわたしがある。
あの頃、過保護に育てられていたら、このような未来には立っていなかったはずだ。体が弱いなら鍛えればいい。短絡的な考え方かもしれないが、今どきの親だとなかなかそこまで思いきれないだろう。弱いなら私たちが守ってあげなくてはいけないと考える人がほとんどだろう。
わたしの場合は、基本的には自由にやりたいことをさせてもらった。実はこれが最大のプレゼントだったのではないかと思っている。体が弱いからやるなと言われたことは1度もない。いや、人生で反対されたのは大学に行かないと言ったときだけだったような気がする。
反対はされなかったが、中学校に入学するまでは、かなり厳しく躾けられはしたのだが。それでもやりたいことをやるなとは言われなかった。モノとして欲しいものはくれなかったが、それが今のモノを持ちたがらない性格につながっていたりもする。
プレゼントというのは時として人生を変えてしまうほどインパクトがある。あまりあれもこれも背負いたくないが、生きているうちに1度くらいはそういうプレゼントをしてみてもいいかなと思うのだが、よく考えたらプレゼントは相手がいてのもの。人生を変えられるくらい親密な関係の相手を作るのが先か。