本を読むということとネットで調べるということの違い

最近は本を読まない人が多いという話。それ本当に?と思うのですが、電車で本を読んでいる人を見かけないので、そこそこ事実なのでしょう。先日本屋に行ったときも、平日というのもあってお客さんがだいぶ少ないような感じでしたし。

それでも本屋がやっていけるのは教科書の卸しとか、漫画や雑誌がそれなりに売れるからなのかもしれませんが、電子書籍もある時代に実店舗の本屋さんはよくがんばっているなとは思います。思うだけで私は電子書籍派であり、紙の本はAmazonで買う人。

それはともかく、本を読まない理由として「調べ物はたいていネットで済む」という声が多いようです。確かに日常生活で必要な情報程度は、いくらでもネットで入手できます。しかもネットのほうが鮮度が高いわけです。

ネットの情報は真偽が怪しいものもありますが、それを言い出すと紙の本だって怪しいものです。10年前に出版された本は10年間も情報を更新していないわけですから、どっちもどっちみたいなところもあります。新刊だって怪しいものもあります。

別に紙の本を否定しているわけではないのであしからず。むしろ、私は本はできるだけ読むべきだと考えているタイプ。いや、人に勧めるようなことはしませんよ。本を読める人もいれば読めない人もいますから。

あえて言うなら、幼少期に本を読む習慣を付けておいたほうがいいというくらいです。難しいのは、子どもが本を読むためには親が読んでないとどうにもならないんですよね。子どもは親の背中を見て育つわけです。親が本を読んでなければ、子どもがそうなる可能性は低いのでしょう。

それで、なぜ読書が必要なのかという話です。確かに欲しい情報を取りにいくなら、圧倒的にインターネットです。アクセスできる情報量がまったく違います。インターネット上では無数の論文を読むことができます。それを紙媒体で検索機能もなしに探すのは不可能です。

ではなぜ読書が必要か。それは読書は知らないことを知れるから。インターネットは情報を引き出す道具であり、書籍は情報のシャワーを浴びるものだと考えています。これまでまったく知らなかった、知ろうとしなかった情報が得られます。

たとえば、私が最近読んでいる「街道をゆく」は日本の歴史を学べます。それは現代の人では書けないような深みのあるもので、いまの人たちがほとんど知らないようなことばかり。もちろん学校でも習わないような内容です。

もちろん古い情報なので間違っているものもあります。ただ、どこそこのあの風景は素晴らしいというものは普遍的なものであり、私はそうやって曽木の滝に出会ったわけです。北京の紫禁城に「珍妃の井戸」というものがありますが、歴史を知っているかどうかでその見え方が変わります。

読書は人生を深くしてくれるもの。少なくとも私の人生においては。でも他の人の人生までは知りませんし、責任を取ることもできないので自由にすればいいかなとは思います。そもそも本を読む習慣を大人になってから付けられるのかも知りませんし。

ただ本を読んでいる人は、それぞれに何かしらのアドバンテージはあるんだろうなとは思います。小説にしろ紀行にしろ、物書きのプロフェッショナルが書いたものなら。そういう意味では映画でもいいのかもしれませんが。

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