こだわりが強くなるほど自分という器に合うものが減っていく【行雲流水】

基本的に流されながら生きています。自分の思い通りに生きるなんてことは無理ですし、流れに抗うエネルギーを、与えられた環境でベストを尽くすエネルギーに使ったほうが、プラスになると思ってるので。もちろん、危ない流れには乗らないようには気をつけていますが。

一方でこだわりがある人を羨ましいと感じることもあります。隣の庭なのかもしれませんが、負けるとわかっている戦いに対しても、こだわりがあるから撤退せずに滅ぶ道を選ぶ。夢に手が届かなかった人を好む私にとっては、それはとても美しいもの。自分にはできないことですから。

もっとも、そんな強いこだわりを持っている人なんて、ほとんど漫画や映画、小説の世界にしかいません。こだわりのように見える、ただの虚勢だったり、言い訳だったりするのがほとんど。私だって、大抵のことは後付けなので、別にそれを批判や否定するつもりはありません。

行雲流水という禅語があります。流れゆく雲や水のように、形を止めることなく変化していくことを言うのですが、全国を行脚している修行僧のことを「雲水」と呼ぶのも、この行雲流水から来ています。とても素敵な言葉で、この言葉に出会ってから、ずっと心の真ん中にあります。

多くの人は雲や水になろうとせずに、器としての自分を整えようとします。その器はシンプルなものから、アートチックなものまで、それぞれの個性を表現しているのですが、肝心の中身がない(なんてひどい表現をするのだろう)。器は本来、何かを入れてこそ役割を果たすのに。

でも、世の中には雲や水になって、器を満たしてまわっている人もいます。言うまでもありませんが、私はまだそのレベルになく、ただ漂っているだけ。それでも、いずれ誰かの器を満たせる人になりたいとは思うわけです。ただ、本質が雲や流れる水なので、そこに留まりはしないんですが。

人はこだわりが強くなればなるほど、器の形が個性的になり、それに収まるものの選択肢が減ります。それが悪いというのではないのですが、それを理解できないまま、こだわりを強めていく人がいるのは不幸なことだとは思います。個性的であることを目指し、周りに認められるようになればなるほど、その器に適した中身がなくなっていく。

年齢が高くなればなるほど「いい人」が見つからないのは、それも影響していると思うのですが、それはまた別の機会に話すとしましょう。ただ、人間は歳を重ねるごとにこだわりが強くなりますし、自分の正義を曲げにくくなる生き物。すべての人がそうとは言いませんけどね。

だったら、器であることをやめればいいのですが、合理的であるからというだけでは、損切りできないのも人間の面白いところ。かつて歪な器だった私も、それを壊すのに随分と時間がかかりました。雲や水になればいいと自然体で思えるようになったのはここ最近のことです。

逆らわず流れていくのはとても楽です。基本的に誰かのために働くことになるので、どこで何をしても喜んでもらえます。自分がないと言われそうですが、何をしてても、どこにいても自分は自分ですし、それが揺らぐことはありません。状況に合わせて形を変えるわけですから、ストレスもありません。

ただ、こういう生き方は、やろうと思ってできることなのか、誰にでもできることなのかはわかりません。同じことをやっても、耐えられず元の生活に戻ってしまう人の方が多いような気がします。誰かのためにと思っても、誰の役にも立てないケースもあるでしょうから。

ただ、うまくいかないときも、こだわりがなければ「まぁいいか」で済みます。生きてるだけで丸儲けと言った芸人さんがいますが、生きてりゃ何とかなるもんです。だから、誰かの真似をするのではなく、自分で考えて自分の道を決め、自分の足で進んでいく。難しいことは忘れて、それだけでいいような気もします。

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