若者のいたずらがちょっとした社会問題になってますが、別にいまの世代の若者が特別おかしいわけでもなく、SNSが広まった今だから表沙汰になってるだけ。かつて若者だった人ならなんとなくわかっていることなのに、躾が悪いとか、日本人の民度がとか訳のわからない議論になってて不思議な感じ。
やってはいけないことをやらないというのは、とても当たり前のことに思えますが、それですべてが成り立つなら、この世界からイジメなんてなくなりますし、窃盗や強盗などもなくなります。人間は倫理的に正しく生きるようにはできてないんです。だからこそ「倫理」があるわけで。
注目されたいという思いや、お金を儲けたいという思いは、大なり小なり誰にでもあるものです。それらは欲求なので、悪いと分かっていても止められるものではありません。いや、止める方法はあります。それは徹底した恐怖を与えることです。
たとえば駐車禁止を守らせるには、禁止エリアに駐車したら免許取り消しにしたらいいんです。軽い罪に対して、軽い罰しか与えないから「まぁいいか」になるわけです。飲酒運転を厳罰化してから、かつてのように「ちょっとくらい」という感覚で飲酒運転をする人が減ったように。
極論ですが、イジメをしたら(厳格な調査が必要ですが)死刑になるルールを作れば、誰もイジメをしなくなります。勘違いしないで欲しいのですが、別に死刑を推奨しているわけではなく、それくらいの恐怖がないと人間は欲求に負けてしまうという話です。
そういうものだというところをスタートにして議論しないと、上部だけの薄っぺらい話になります。「やってはいけないことをやるのは躾ができてないから」とか「日本人の民度が落ちた」とか。でも一方で多様性とか言って、なんでも許される世の中になり、体罰なんてした日には大問題になる世の中でもあります。
日本が世界と比べて貧しくなったという話があります。あれもワークライフバランスとか言って労働時間が短くなったことが本質的な問題で、最初からそうなることは明らかだっだのに、大事になってから騒ぎ出す。でも、働く時間を伸ばそうとはなりません。
他の国は知りませんが、この国には「こうすればよくなる」と明確になっていても、それを実施することが難しいことが多々あります。ただそれが国家であり、こちらも「そういうもの」なんですよね。国家のあり方というのも、この数年で大きく変わっています。
もっともここで国家なんて語ったところで、誰の役にも立たないので、別に構わないんですけどね。私たちがやるべきことばかり、欲に流されずに丁寧に毎日を過ごすだけ。ただその前提にあるのが、人間は欲望に流されるんだということです。
悪いことと分かっていても、揺るがない心を持つことが大切です。もちろん簡単なことではありません。むしろ難しいことであり、私を含めほとんどの人はそうなるのは無理。だからと言って諦めるのもおかしな話。実現不可能でも、やはり目指すところは欲望に流されない自分。
他の人にまでそれを求めようとは思いませんが、少なくとも自分は妥協せずに、私利私欲ではなく誰かのために働く。時代が変わっても、それこそが私たちが幸せになるための原理原則。楽したくなる気持ちに負けずに、ただひたすらに積み上げていく。
他の人が面白おかしく生きていようが、楽して儲けようとしようが、私には全く関係ないこと。ただ、私も欲望に流されやすい一面のある「人間」です。それを無かったことにして正義や正論を語るのはカッコ悪いことです。まずは弱い自分を受け入れるところからですね。