愛媛マラソン前日に父の17回忌の法事をしてきました

本日はいよいよ愛媛マラソン。前日に父の法事で集まったあとに焼き肉に行き、まるでフルマラソン後のような食事をしてしまい、今日はベストコンディションでスタートラインに立てるか不安です。まぁ人生においてマラソンよりも大事なことがありますので。

17回忌ということは16年前に父がなくなったということなのですが、つい最近のことのようにも、随分と昔のことのようにも思えます。私がランナーにもなっていなかった頃だと考えると、この16年は本当にいろいろありました。

父との思い出はそれほど多くありません。この親にしてこの子ありの典型で、父は私よりもさらに働く人でしたので、子どもにかまっている時間などなく。昭和50年代、60年代にはよくあることですね。ただ仲が悪かったわけでもなく。

いまの私が仕事が好きなのは間違いなく、父の働き方を見てきたからです。それがいいことかどうかはわかりませんが「働かざる者食うべからず」の精神が私の根っこにあり、働くことに対するネガティブな感情はありません。

もっとは話を聞いておけばよかったなと思うこともありますが、きっともう1度同じ人生を生きたところで、また何も聞くことなく時間が流れるような気もします。学ぶことがないというわけではなく、自分で考えることの重要性を教わってきたから。

萩本欽一さんが「聞いちゃだめ」とよく口にしますが、私もそういう感覚がずっとあります。悩み苦しむことを自分なりに解決していくことに人生の面白さがあり、誰かに正解を聞いたところで、それは血肉にならなず成長にも繋がりません。

私が愛媛マラソンを走っているのは、毎年実家に帰省する理由が欲しいから。愛媛マラソンのアスリート枠を確保すれば翌年も優先的にエントリーできるので、実家に帰ってこれるわけです。だからアスリート枠にはこだわっています。

そんな理由なしに帰ってくればいいじゃないかと思うかもしれませんが、私は思いのほか視野が狭いタイプの人間で、目の前の事以外見えなくなるんです。だから愛媛マラソンがなければ、なかなか実家に帰ってこようという気にらないはず。

父が亡くなった年も、それまでの数年は実家に帰っていませんでした。仕事が忙しかったのと、他にやりたいことがいっぱいあったから。当時は家族に会うことの優先順位がそれほど高くなかったんです。47歳にもなればその時間の重要性をわかるようになりましたが。

そして愛媛マラソンが今日、久しぶりの開催となります。「父が見ている」なんてことは考えませんが、何回目の挑戦になっても「恥ずかしい走りはできない」という感覚があります。間違っても途中で投げ出すなんてことは絶対にできません。

それは父が最後までやり抜くことを大切にしていたことが影響しています。普段なら心が折れてしまいそうな状況でもひと踏ん張りできるのは、やはり父が育った場所でのレースだから。ここで逃げ出すなんて恥ずかしいことはできません。

とはいえ実力以上のものはでませんので、今日はオーバーペースにならないようにサブ3.5を狙って走ります。ここで求められるのは、最後までやり抜く気持ち。父の17回忌をいい思い出として残せるよう、気持ちだけは切らさず頑張って走ります。

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