本当に大切なことを誰かに話したりなどしない【ここには書く】

松浦弥太郎さんのランニングに関するエッセイを読んでいます。それについての感想は読了してから書きますが、少し気になったことがあったので忘れないうちに書いておこうかと。それは「走る理由」や「働く理由」を聞いたときに明確に答えられる人でないと、何事も継続は難しいというニュアンスの文章です。

その文章そのものは納得しています。なぜ走るのか、なぜ働くのか、その理由がはっきりしている人は簡単にはやめません。目標を達成するまで、いや達成してもなお継続し続けるはずです。でもですよ、それを言葉にして人に伝えるかというと「否」です。

なぜ走るのかと人に問われたら、私なら「別に理由はない」と答えます。ひとつは説明するのが面倒だというのもあるのですが、そんな個人的なことを人に話す必要がないからです。余程親しい間柄で、真剣に討論する場なら話すかもしれません。でも大抵はそうではありません。

働く理由だって「そこに仕事があるから」と答えるでしょう。このブログは自分の内側についても書くこともあるので、働く理由について述べることもありますが、対面で誰かに話したりはしませんし、働く理由について語っている人を信用したりもしません。

本当に大切なことや大事なことを他人には話さない。40代後半になって身につけた知恵のひとつです。20代30代は、自分の正しさを知ってもらいたくて、散々自分語りをしてきましたが、それはきっと不安だったから。もしくは自分に自信がなかったからです。

今は自分が何者であるかなんて、他の人に知ってもらう必要がありません。繰り返しになりますが、説明するのがとても面倒です。ライターでランニングの情報発信をしてて、中国のマラソン大会の事務局をし、伊豆で宿直をし、北海道の飲食店でも働いてる。

小説でそんなキャラクターを登場させたら、編集者に読者がついてこれないから修正しろと言われるでしょう。私だってそんな小説を読みたくありません。それを他人に説明する労力に対する見返りがあまりにも小さすぎます。そして何よりも、私はそれらを何ひとつ背負っていません。

もちろん仕事としては責任がありますし、背負っていないからといって、投げ出すつもりもありません。ただ、そこに私という人間の本質はありません。RPGで言えばアイテムのようなもの。ライターという仕事も私を飾る、私の武器となるアイテムでしかありません。

そのアイテムを選んだ理由、身につけている理由なんて、私にとってはどうでもいいこと。全部気がついたら持っていただけなので。それに対して、意味ありげに語るなんて恥ずかしくて無理です。もちろん自分の本質を誰かに話すなんて、もっと考えられません。

語らなくても、自分の中に確たるものを持っていればいい。少なくとも男というのはそういうものです(女性がどうだかは知りません)。むしろ、確たるものは決して人には見せないこと。上手く隠し通せるのが私にとっての理想です。「しょうがないやつ」と評価されるくらいがちょうどです。

もっとも本当に確たるものを持っている人は、それが滲み出てくるので「しょうがないやつ」になるのはなかなか難しいのですが。いずれにしても、誰かに自分という人間をわかってもらおうなんて思っているうちは、人間としてまだまだ未熟。

誰かに見られてなくても、誰かに知られてなくても自分のやることを積み重ねていく。それが私の目指すところ。その領域にはいまだ届いていませんが、抱えている想いは安易には口にせず、ここに書き綴るとしましょう。走る理由?そんなものはありません。

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