廣島神社に挨拶してきた【北海道に氏神様はいるのだろうか】

北広島には廣島神社があります。名前からもわかりますように、広島から北海道にやってきた開拓民によって建てられた神社で、私が苦手とする天照大御神や大国主大神などが祀られているのですが、きっと氏神様になるので時間に余裕があるうちに挨拶をしてきました。

この1ヶ月怒涛のように過ぎ、そして思い通りにならないことが続いていたので、やっぱり挨拶していなかったのが悪かったのかなと。昔からそうなんです。三島時代も挨拶を欠かした結果、右腕を折られてしまうという。

それをたまたまだと言うのは簡単です。私も信仰心などなく、神様も仏様も信じていません。でも氏神様はいるんです。そうとしか思えないようなことが起きるので。今回のように挨拶に行った途端に、流れがよくなるなんてこともあります。

ただ、北海道に氏神様がいるのかという疑問はあります。なぜならここはアイヌ民族の土地であり、そこに日本の氏神様がいるというのは違和感があります。北海道にいるのは間違いなくアイヌの神様で、私がまったくわからない世界です。

アイヌがどのような扱いを受けたのか、その歴史についてはまったく知りません。そういうのはよくないなと思うのですが、いかんせん時間がありません。歴史を学ぶのはもう少し時間があるときでないと無理です。これも近いうちにスタートさせますが。

廣島神社の元になる祠ができたのが明治16年4月。1883年のことですから、もう140年も昔の出来事です。その当時の人たちの苦労は私の想像を遥かに上回るものだというのは、用意に想像がつきます。きっと抱えきれないほどの夢を持って北海道に来たはずです。

でも、実際に北海道に来てみたら寒さが厳しくて、そう簡単には作物を育てられなかったはずです。人によっては騙されたと感じている人もいるかもしれません。どことなく今の私が置かれている状況に似ているような気がします。

もちろん彼らは命がけの挑戦であり、私は失敗したところで命を失うようなことはありません。私のほうがぬるい環境にあるわけですが、それでも逆境に置かれているという意味では同じですし、前を向いているという点も共通しています。

だからこそ開拓民から学べることがたくさんあるはずです。どのような精神状態だったのかとか、追い込まれたときにどう乗り切ったのかなど、知りたいことは山積みです。もっとも当時の人に話を聞くことはすでにできませんが。

そしてやはり気になるのはアイヌの神様。アイヌ民族にとって神様はいったいどのような位置づけなのか、そして何をもたらしてくれるのか。私のイメージでは八百万の神に近い印象がありますが、いかんせん無知すぎて何もわからず。

なので落ち着いたら郷土資料館みたいなところにも行ってみたいところです。知っていることで開ける道があります。ここまでは全力疾走をしてきましたが、そろそろ新しいフェーズに移行するタイミング(正直息切れしていましたし)。

せっかく北海道にいるわけですから、ただ漠然と仕事をしているだけではもったいない。自分の血肉となるような知識や考え方などを吸収し、戻ったときに成長できているのが理想です。まだしばらくは仕事中心の生活になりますが、あと少しでそれも解消できるはず……多分。

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