北海道の春は遅い。日本は必ずしも一枚岩ではないという事実

昨日初めて北海道で桜を見ました。こんな北の地でもちゃんと桜が咲くものだと新鮮な驚きでした。ただ北海道の桜は一斉に咲くというのではなく、あちこちでちらほら咲きはじめるという感じがします。本州の桜のように足並みが揃っていないのが面白いところです。

昨日は職場の仲間と小樽まで行ってきましたが、小樽はそれなりに大きな街ですが、街にはメガバンクがありません。唯一あったのは三井住友銀行のATMのみで、あとは北海道の地銀が展開しています。これは関東にいるとなかなか理解できない現実です。

私が仕事で使っている横浜銀行がないのはわかりますが、第一勧業銀行だったみずほ銀行のATMも久しく見ていません。おそらく札幌にはあるのでしょうが、北広島にも小樽にもみずほ銀行がなく、同じ日本でも随分と違うんだなと。

でも考えてみれば当然ですよね。関東と北海道では春の始まりが1ヶ月も違います。それぞれが抱えている歴史も全く違います。北海道は歴史的に考えても、沖縄と同じくらい日本の歴史と外れており、それぞれの文化がつい最近まであったわけです。

ただ、この国の文化は東京が基準にあり、テレビなどのメディアを中心に考えると、あらゆるものの核となる部分に東京があります。だからこそ地方の対極性が注目されるわけですが、世間の注目というのは東京からのアクセス時間に比例して薄れていきます。

こういうことは東京を離れて初めて分かるもので、東京だけで仕事をしていると地方と東京の温度差というものはなかなか感じにくいものです。小樽で選挙カーが「公共無線Wi-Fiの充実」みたいなことを候補者が言っていて、東京ではもう10年前の議題をまだ語っていることに愕然としました。

そのときにこの国は決して一枚岩ではないんだということの本当の意味をわかりました。この国は東京を中心に回っていますが、それについてこれない人も多く、地方と東京では正しさの基準にタイムラグが生じてしまうわけです。

地方進出をするときに、大手企業であればパワーバランスで自分たちの正義を貫くことができます。たとえばユニクロや無印良品のようなネームバリューのある企業は、本州と同じスタンスで経営できるわけです。でも中小企業からすれば、郷に入りれは郷に従えが基本。

地元に受け入れられるためには多少なりとも変化が必要で、自分たちは成功者だからと偉そうにしているとメガバンクのように地元に受け入れてもらえません。メガバンクですらそうなのですから、それよりも規模が小さい会社だと、さらに信用というものが大きくなります。

信用をいかにして築いていくか。これが成功するためにとても重要になるのですが、自分たちにできることは残念ながらそれほど多くはありません。ただ、その状況において結果を出せれば必ずこれからの人生にプラスになります。

もっともそのためには、もっと北海道の人たちの性格などをきちんと把握する必要があります。まだまだよそ者でしかありませんので、もっと交流を深めていかなくてはいけませんし、横のつながりも意識する必要があります。

まだまだそこができていないのが、自分にとっての伸び代ではあります。これを満足できるレベルまでもっていければ、お店にも自分自身にもプラスになります。ただ、結果だけを求めすぎてやり方を間違えないこと。誠心誠意ということを忘れずに、もっと北海道に根を張るために何をすべきかを考えていくとしましょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次