舌が肥えるというのはなんとも品のないことだろう【北海道生活の弊害】

北海道での生活が2ヶ月続き、そのあいだに一流ホテルで料理長をしていたシェフがまかないを作ってくれたり、ミーティングと称して毎晩のように社宅に上がりこんで夕ご飯をごちそうになったり、北の大地の美味しいい店に行ったり。

ただただ美味しいものを食べ続ける生活をして、10kmもまともに走れない体になってしまいました。それは別に構わないのですが、問題は美味しさのハードルが自分の中で大きく上がってしまったことにあります。

とにかく北海道は何を食べても美味しく、セイコーマートのお弁当ですら感動的な美味しさだったりします。そういうものばかり食べていると、関東に戻ってきたときに困ります。美味しいものを食べてもこれまでと同じような感動にならないためです。

これって本当に悲しいことで、そして自分がとても卑しい人間に思えてしまいます。一生懸命作ってくれたものに対して、どこか不満の気持ちを持つ。人間としては最低なのはわかっていても、やはり舌は正直なわけで。

それを強く感じたのは、東京から戻ってきて最初に食べた新宿のソーキそば屋さん。どうしても麺類が食べたくて、でもどこも混雑しているから何も考えずに入りましたが、明確にがっかりしてしまいました。これまでなら美味しかったと言ってそうなのに。

幸い今いる伊豆高原も鶴巻温泉も美味しいものに恵まれているので、今のところ後悔するようなことはないのですが、北海道から出てきた人が「東京は美味しくない」と言う意味はわかるようになっており、人生を損している気がします。

何でも美味しく食べられる。これが人生を楽しむ上で最良の状態です。マクドナルドや吉野家でも笑顔で食事ができて、コンビニ弁当でも美味しいと思えるのが理想。それなのに、外食をして満足できなくなっている自分がいるわけです。

北海道と東京で何が違うのかというと、いつも言っていることですが「水」が違います。東京の水は浄水したところで北海道の水道水ほどの美味しさはありません。北海道では蛇口からキンキンに冷えた美味しい水が出てくるんです。

鶴巻温泉や伊豆高原で満足できているのは、どちらも標高の高い山で濾過された地下水が水道水に使われているから。きれいな水で調理されたら、大抵のものは美味しくなります。ご飯だって炊きあがりがまったく違うわけです。

だから東京はよくないと言うわけではなく、単純に北海道で暮らすとそういう弊害も出てくるんだということを伝えておこうかなと。もっとも私の置かれている環境が特殊すぎるというのもありますが。北海道だって、美味しいお店ばかりではないでしょうし。

でも、終の棲家を探すときに「水」というのはとても重要な条件になりそうな気がします。いまのところ1番気に入っているのは静岡の三島。北海道はそれに次ぐくらいの位置にあります。いや、水の美味しさだけなら北海道のほうが上。寒さが苦手なので、通年暮らすのは難しいというだけで。

伊豆高原も秦野もいいところです。きっと新潟とか山梨、長野とかも水が美味しいんでしょうね。東京へのアクセスを考えたら軽井沢なんかも……ただ、どこが終の棲家になるかはわかりませんが、その歳になるころには「なんでも美味しい」と思える人間に成長していたいものです。

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