映画「銀河鉄道の父」を観てきました【雨ニモマケズの意味】

久しぶりに映画館に行ってきました。久しぶりといっても3ヶ月前くらいに行ったような気もしなくもないので、そこまで久しぶりではないのですが、約2ヶ月間ほとんど記憶に残ってないくらい働いていたので、その期間は時間でいえば1年分くらいあってですね。

たまたま病院でニュースで「銀河鉄道の父」の舞台挨拶が流れていて、そういえば観たい映画だったなと。こういうのも縁ですよね。映画や本は出会うべきタイミングで出会えるものだとずっと言ってきましたが、まさにそんな感じ。

もし、あの日病院に行ってなかったら、もう少し早く、もう少し遅く行っていたら、上演していることすら気付かなかったわけです。そう思うと、ちょっと時間を割いてでも行くべきだと思って、朝イチで札幌の映画館まで。

宮沢賢治さんの作品については、昨年盛岡に行くまでは正直あまり理解できないものが多く、唯一「雨ニモマケズ」が心に響いていたくらいでした。ところが盛岡の空気を少しだけ吸ったことで、感じ方がちょっと変わってきました。

東北で暮らすということの意味。なぜあのような表現になるのかなど、盛岡を歩いてからスポンジが水を吸うかのごとく、勢いよく自分の体の中に染み込んできました。そして、「銀河鉄道の父」を観なくてはと思ったわけです。

まだ上映されたばかりの映画なので、内容については触れませんが、強く感じたのは「人を知る」って大事だなということ。宮沢賢治がどういう生き方をしてきたのか、どのように育てられたのかを知っているかどうかで、彼の遺した文章の見え方がまったく変わってきます。

それは盛岡を知ったというのと同じ。同じ言葉でも背景を感じられるかどうかで、伝わってくる内容の深みがまったく変わってきます。石川啄木や宮沢賢治が生前に受け入れられなかったのは、その背景が伝わっていなかったからなのかなと。

本来は作品だけで評価されるべきなのかもしれませんが、たとえば「ねじまき鳥クロニクル」を浅田次郎さんが書いたのでは売れないわけです(売れてしまいそうな気がしなくもありませんが)。「ねじまき鳥クロニクル」は村上春樹さんという背景があるから売れたわけです。

そして背景を知るとまったく違うものが見えてきます。私が理想とする「雨ニモマケズ」の境地をこれまで表面的にしか受け取れていなかったということ。そして、今は「雨ニモマケズ」という器に少しだけ魂が入ったのを感じています。

こんなにも泣いたのは「鉄道員」以来でしょうか。「鉄道員」のときは溜まっていた感情が溢れ出したという感じでしたが、「銀河鉄道の父」は感情を堰き止めるものが何もなく、何度となく涙がこぼれ落ちてしまいました。

ずっと宮沢賢治さんのことを、才気溢れる天才肌の人だと勝手に思い込んでいました。でも全然そうじゃなくて、むしろ苦労を重ねてきた人。いや、苦労ではなく苦悩ですね。だからこそ、あんなにも素敵な表現ができる。

私なんかはその足元にも及びませんが、同じ物書きとして響くものがありましたし、そして何よりも父と子の物語、あの時代を行きた人の姿に胸が締め付けられました。残りの人生でもまだまだ学ぶべきことがある。そんなことを強く感じた木曜日の朝でした。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次