挨拶がある街【ちょっとした心の通じ合いが居心地の良さを作る】

北広島でまら走っていないエリアが北広島駅の西側。住宅地になっていて、しかも駅がそこそこの丘の上にあるのにそこよりもさらに高台になるということで、ちょっと二の足を踏んでいたのですが、おいしいパン屋さんがあると聞いて食い意地のほうが勝ちまして……

食いしん坊であることが私の走る活力です。昨年東北横断したのも、最後に酒田で美味しい魚を食べられるという食い意地だけがモチベーションでしたから。北京や台北が好きなのも食べ物が美味しいから。その欲望が続く限り、どんな坂道であっても障壁になりません。

今回は知らない場所ではあったのですが、ぐるっと10km走っている間に、何度も挨拶をしました。こういうのって都会だとあんまりないというか、知らない人同士のすれ違いにしかならないんですが、ここは縁あってすれ違った人という感じになります。

だから自然と挨拶をしたり会釈をしたりするわけです。これはとても素敵なことなんですが、なぜ都会ではそれが成立しないのかというのは、これからよく考えていかなくてはいけない課題かもしれません。単純に人が多いから?それとも安全のために殻に閉じこもっている?

安全のためにできるだけ人とのコミュニケーションを避けようとしているなら、そこは何かの突破口になります。何の突破口になるかはわかりませんが、社会における歪のようなものですので、間違いなく何かを生み出すことができます。

そういう意味で、挨拶がある街は展開できるサービスがシンプルです。人と人とが信頼しあっていて、譲り合いの気持ちがあるから満たされている。都会ではお皿を割ってストレス解消するサービスがありますが、それは北広島では成立しない気がします。

もちろん北広島市民もストレスを抱えている人もいます。世界中のどこにいたって人生で悩んでいる人はいます。いや、人生で悩んでいない人なんていません。こんな適当に生きている私だって人生で悩むこともあります(最大5分くらい)。

昨日は本気で関東に戻ろうと思うようなことも起きました。30代の私だったらきっと何も言わずに帰っていたと思います。さすがにこの歳になってそういう責任のない行動は取りませんが、私だってそんなストレスがあるんです。

でも、初めてのランニングコースの途中で立ち寄ったパン屋さんで「言ってくれたら好きなサイズで切るよ」みたいに声をかけられたら、もうそれだけで満たされてしまいます。やっぱりどこで暮らすのかって大事ですよね。

伊豆高原の宿直でお客さんに理不尽なクレームを受けても、伊豆高原を走って美味しいランチを食べたらすべてどうでもよくなるんです。そう考えると場所も大事ですが、走れているということも大事ですよね。走れるから気持ちが安定する。

ランナー同士の挨拶も自然と起きているのが北広島で走っていて嬉しいこと。裸足で走っているときは目を合わせてくれませんが。いずれにしても都会よりもこういう場所のほうが自分に合っている気がします。自分の働き方は都会の方が合ってそうですが。

そしてちょっとした心の通じ合いが大事だなと。ここで仕事をする場合、お客さんとの心の通じ合いがすべてと言っても過言ではありません。ここは東京ではないのですから、郷に入りては郷に従えという言葉が示すように、この場所で暮らしている人に合わせることが大切。

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