宮沢賢治を意識する【雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ】

「銀河鉄道の父」って、ずっと宮沢賢治の父である宮沢政次郎さんのことだと思っていたんですが、あるときふと、それは宮沢賢治のことなんじゃないかと気付いてしまい、背筋がゾクッとしました。きっと小説を読んだり、映画を観たりした人は、その意味がわかってもらえると思います。

きっと実際のところも宮沢政次郎さんの視点で書かれており、表立っては宮沢政次郎さんのことを示すんだと思います。それとは別に、このタイトルに隠された想いのようなものがあって、たとえば「銀河鉄道の夜」は宮沢政次郎さんにとって孫になるわけです。

もうここまで書いたら、小説か映画に触れた人ならわかると思います。ただ、それは私の勝手な解釈でしかなく、門井慶喜さんがどう考えているのかはわかりません。実際にそうなんだとしたら、やっぱり賞を取るような人の頭の中はちょっと違うんだなと思うわけです。

それはともかく、盛岡に行ったり、あの映画を観たりしたことで、私の心の一等地に宮沢賢治が住み着いてしまいました。そして、ここ最近の体調の悪さや、結婚をすることなく生涯を閉じたところなどが重なるわけです。

「雨にも負けず」が好きだと、以前からずっと言い続けています。特に好きな部分が「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ」で、ここはもう何回も繰り返し読んでいます。でも最近気になる部分が変わってきました。

それがブログタイトルにもした「雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ」です。何も知らないときは、宮沢賢治が丈夫な人なんだと思っていました。でも、この句は「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」に繋がるわけです。

丈夫なのではなく、丈夫な体が欲しかったのでしょう。それを理解したときには、私もまだまだ健康だったので、宮沢賢治の体が弱かったのだという程度の理解。でも自分が丈夫な体でなくなったときに、この句を理解できたわけです。

自分の体が弱くて、できることが限られていることを受け入れつつも、やりたかったことをやり遂げていないことへの悔しさのようなものがあり、「もっと強い体だったら」と思うわけです。もちろん私がこれからどう転ぶのかはわかりません。

医学が発展していますので、多少の病気は治すことができます。だから1〜2年後には強い体を取り戻している可能性は高いと楽観的に考えています。そうなったときに、弱さを知っているというのは大きな武器になるような気がします。

自分が弱いと意識しているなら、人生をムダにしないようにというスタンスにもなれます。かつて胃潰瘍になったときも「癌の可能性もある」と言われて、そこそこ落ち込んだのですが、そのときの落ち込みを経験したから、今は比較的冷静な自分でいられます。

あのとき精神的に死域(北方謙三さんの造語)に入っていたのかもしれません。だから会社をやめて働きたいように働く道を選べた。そして、今回は死域に入って自分をコントロールできている。だとすれば抜け出したときに、人生が大きく変わる可能性があります。

とりあえず小説を書くのだという目標ができていますし、嫌なことやストレスになることはひとつもしないという気持ちに切り替えることができました。そういう意味で、私にとっての新しいステージはすでに始まっているのかもしれません。

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