目指すべきところは本当に「幸せ」や「豊かさ」なのだろうか

元乃木坂46の山崎怜奈さんが、YouTubeの新R25チャンネルのインタビューで「孤独力」について語っており、そこで、「自己完結することで誰かに依存せずに自分の幸せを手にすることができる」というニュアンスのことを語っていました。

きっと私が20代や30代前半だったら、なるほどなとか心に響いたりしたのでしょうが、このブログにあるように「幸せを目指すことが正解とは思わない」というのが今の私のスタンスなので、山崎怜奈さんの言葉が刺さることもなく、むしろ違和感として胸に残りました。

別に山崎怜奈さんを批判しているわけではありませんし、そういう考え方になるのもわかります。少なくとも数年前までは私もそれに近いような考えも持っていましたから。でも、今の私だとまったくしっくりきません。

今回ブログでそれを書いたのは、似たようなことが何度か続いたからで、しっかりと自分を持っている人が「自分の幸せ」について話しているのを立て続けに聞いたときに、「私はそちら側の人間ではないんだ」と革新したからです。

そちら側というのは「成功者」という立ち位置。何をもって成功するかは人によって違うんですが、有名になったり、お金をしっかり稼いだり、そして気持ちが満たされた状態が続くことも「成功」にあたりますが、私にはその方向への期待はほとんどありません。

いや、わずかにも残っておらず、成功を望む気持ちはゼロかもしれません。このブログでも何度も書いているのですが、私は経験こそがすべてだと思っています。その経験というのは成功だけでなく、失敗も含めての経験です。

どんなひどい思いをすることになっても、それを経験したことが私にとってはプラスになります。「苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、その言葉の場合は「その経験がのちに役立つ」というニュアンスを含んでいます。私の場合はその「役立つ」という思いがありません。

苦労を経験することでクローズしていて、それが後で役に立つかどうかなんて興味ありません。もちろん苦労だけでなく喜ばしい経験もすべきですが、「苦労」だから大変で、「喜ばしい」からどんどん経験したいなんてことはありません。どちらも同じ経験です。

両方が並んでいてどちらかしか選べないなら、他の人が選ばなそうな方を選びます。「こっちのほうが楽だから」なんて選び方は絶対にしません。そうなると必然的に「苦労」を選ぶことになるのですが、大抵の場合で周りの人に変な顔をされてしまいます。

わざわざ大変なことを引き受けることを理解してもらえないわけです。でも、私は大変なことを引き受けているという感覚はありません。自分で人生を選ぶことができて、やりたいと思ったことをやっているだけ。それが儲かるとか、地位や名声、安定などに繋がるからなんて理由では選びません。

どうせ生きていれば何かやるわけです。休みの日にソファで寛いでビール片手にテレビを見るなんて1日は、おそらく私の人生においてこれまでもこれからもやってきません。やらなきゃいけないこと、やるべきことに追われて人生を閉じることになります。

幸せとか豊かさを手にしたところで、きっと私は持て余すだけ(そもそも欲しくもない)。少なくとも体が思うように動く間は、とにかく目的も目標もなく経験を積み重ねていく。これが私のスタンスです。きっと理解してもらえないかと思いますが、世の中にはそんな変なやつもいるんだと思っておいてもらえればと。

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