万里の長城マラソン2023秋の大会申し込みを開始しました。万里の長城マラソンは私の人生を大きく変えたマラソン大会で、今の私のちょっと変わった人生は、万里の長城マラソンに参加したことから始まりました。最初はただの参加者だった私がなぜ運営に関わるようになったのかを話しておきましょう。
話はいきなり脱線しますが、初めて参加したときに一緒だったのが、北海道出店をお手伝いした三州ツバ吉さんでした。そのときはまだmixiで軽く繋がっている程度。現地で三州さんの仲間と食事をして、そこからいろいろ関係ができて、最終的には北海道で働くことになったわけです。
この年は「こんな恐ろしい大会があるのか」と驚愕したのと同時に、これまで経験したことのない特別感のあるレースに魅了されてしまいました。それ以前に中国を何度か訪れていて、いつか中国で働きたいという思いもあるくらい中国が好きだったというのもあります。
この素敵な大会をもっと多くの人に知ってもらいたいということで立ち上げたのが、万里の長城マラソンのファンサイトでした。大会の公式サイトはとても情報が少なく、どこに集合するのかすら分かりにくく、そういう不安を解消したいという思いで情報発信するためにサイトを作りました。
その翌年に一緒になったのが、少し前から日本に遊びにきてるアメリカで暮らす日本人女性のランナー。彼女と旦那さんはUTMFを走ったり、東西対抗東海道53次ウルトラマラソンにも参加してくれるなど、今でも親交が続いています。もちろん、先日も上野で会っています。
毎年のように「ゴールデンウィークは万里の長城マラソン」と決めて参加していたわけですが、いつも新しい出会いがあり、その出会いのひとつひとつが私の人生に多大なる影響を与えています。転機になったのが2012年に日中関係が悪化したときです。
大会の代表である朱さんは大阪で暮らしていたのですが、日中関係の悪化により万里の長城マラソンの存続が危ぶまれると判断。そこで日本人の参加者を取りまとめてほしいということで、私に白羽の矢が立ちました。私はその年の大会で迷惑をかけてしまったので、翌年からの参加を自粛すると連絡したら、そんなことより……となったわけです。
なんでも引き受けるというのは、どうやら今に始まったことではなく、以前からずっとそうだったようです。困っている人がいて、自分に余裕があるなら引き受ける。おそらく普通の人が躊躇するようなところも、そうやって自然と一歩を踏み出していたのでしょう。
そして万里の長城マラソンの日本事務局を引く受けた最初のタイミングでやってきたのが、いま伊豆高原の宿で管理人をしている桑畑さんです。本当に私のすべては万里の長城マラソンで作られていると言っても過言ではないほど、ここでの活動が未来を作っています。
そんな万里の長城マラソンが再開します。秋大会は間違いなく参加者は1桁。私を除いて0人という可能性もあります。でも、ここがスタート地点。また100人規模で日本からの参加者が出る大会にするというのがとりあえずの目標。数年かかるでしょうが積み重ねていくだけ。
ビザがいるとか円安とか参加しない理由はたくさんあります。中国に行くということ自体がリスクだったりもします。それでも、1人でも多くの人に人生が変わるような経験をしてもらうこと、中国を肌で感じてもらうことが私の役割。
すぐに結果は出ませんが、スタートを切らないことには何も始まりません。今できることをひとつずつ積み上げていくこと。また忙しくなりそうですが、それ以上にワクワクが上回っています。この3年で北京がどう変わったのか、自分の目でしっかり見てこようと思います。
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