楽しいと思えることだけをする【新しい「知らない」に出会うために】

北海道マラソン翌日は長沼へ。やっぱり好きな場所ですね、北海道らしいところもありますし、それでいてブレない個性を持っていて街に悲壮感がありません。生きているうちに1度は長沼で暮らしたいと思います。1年でも2年でも、何かの作品づくりをするときに。

気持ちがポジティブになる場所。きっと人それぞれそういう場所があるはずです。それが海外の絶景という人もいれば、四畳半の布団の中という人もいるはずで、私にとって長沼がそれにあたります。北海道での絶望の中にあったわずかな救いみたいな存在。

ただ、私の場合は日本中にそういう場所があります(不思議なことに海外ではない)。その一つひとつを挙げたりはしませんが、何度も足を運んでしまう場所というのがあるんです。そこに留まらないのは、自分の居場所だとは思ってないからですが。

私は自分の居場所なんてどこにもないと考えている人間。そんなものがあってはいけないとすら思うわけです。居場所というのはそこに留まることを意味します。きっと居心地がいいんだろうなと思います。拠点を構えて日々移ろいゆく時間に幸せを求める。

そういう生き方もあることは知っています。それを幸せと呼ぶ人がいることも。でも、以前からお伝えしていますように、幸せとか豊かさを求めるのが私の生き方ではないと、最近になって明確になりました。私はただたくさんの経験を積みたいだけなんです。

幸せとか喜びだけでなく、苦しさや悔しさなんかも全部経験したい。そのためには昨日と同じ今日ではいけません。根の生えた生き方をしていると、経験の幅が少なくなります。たとえば今回北海道へ行き、マラソン大会を応援したことで、自分の救護に対する知識が少なすぎることを痛感しました。

これは北海道に行ったから得られた悔しさで、そしてそこから次に繋がるわけです。倒れている人を見逃せないなら、救護の基本を学べばいい。同じく道に迷った台湾の子をホテルまで送り届けるときに、カタコトの中国語しか話せなくて、やっぱり悔しい思いをしましたが、その悔しさもやっぱり学びに繋がります。

自分の幸せとか豊かさとかを望むなら、困ってる人を見てみないふりをしても、自分のやりたいことに時間を使えばいい。でも、私はそういうタイプではなく、困ってるならなんとかしたい。ただその想いだけでは何もできなくて、きちんとスキルを身につけなくてはいけません。

それができたら、また新しい経験へとつながっていきます。そして、その経験がまた誰かを助けることになる。別に助けることにこだわっているわけではありません。それはただ見過ごせないというだけのことで、経験を積むことで次のステージへと向かえる自分になりたいだけ。

それって面白いじゃないですか。ものすごく楽しいじゃないですか。まったく予想もしていなかった未来へと導かれることもありますし、何よりもこれまでにない経験が私を満たしてくれるから、どんどんポジティブな気持ちが溜まっていくわけです。

きっと長沼にはそういう期待を感じているのかもしれません。そこで暮らすことで、これまでにない経験を積めるという期待。東北にも似たような感情を持っているのはやはり期待しているから。ただ、それは「知らない」だけなんですよね。

知ってしまえば期待は減っていき、また別の場所を求めてしまう。きっと私はそうやって人生を全うするのでしょう。いつも渇きを感じていて、それを求めて新しいことをする。お節介をしてしまう。でも、そういう生き方しかできないから、また旅をするわけです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次