北方水滸伝シリーズで岳飛が好きな理由【与えられた役割をまっとうする】

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最近になって、北方水滸伝が自分に多大なる影響を与えていると感じることがよくあります。北方水滸伝にはさまざまな登場人物が現れるのですが、おそらく楊令伝で主人公となる楊令が、最も人気がある人物なのではないかと思います。

まさに英雄という感じの人物で、足りないものはひとつもないような存在。私も読んでいるときは楊令が好きだったのですが、どうも自分の生き方というのは3作目となる岳飛に重なるところが大きいような気がします。

楊令伝での岳飛は軍人であり、自分の志のために戦うというよりは、国が決めた方針に従って戦います。それは岳飛だけでなく、北方水滸伝において軍人に共通している点で、軍は与えられた役割をまっとうするためだけに動きます。

私はそれを美しいと思いますし、そうありたいと常々考えています。私は世の中を動かせるような人物ではなく、誰かに影響を与えたりできるスター性もありません。だけど、与えられた役割はどんなものであっても、きちんとこなします。

ずっと思っていました。「この人と思える人物に出会えれば仕えよう」と。ただ、残念なことに47年も生きてきて、そう思える人には1人にも出会ったことがありません。ひと角の人物だと思って一緒に仕事をしてみたら、まったくそうでなかったりします。

その経験から、きっと世の中には私が求めるような人材はいないんだろうなと思うようになりつつあります。いい大学を出て、誰もが羨むであろう会社で働いている人であっても、「結局は人間だよね」となるわけです。

もちろん人間だから欲がありますし、誰だってみんな自分がかわいい。お金を稼ぎたいと思っていて、少しでも楽したいと考える。それが人間であり、それでいて自分をコントロールしきれなくなって感情的に行動を起こしたりもします。

私にも当然そういう面があって、だからこそ上に立ったり、人に道を示したりはできないと考えています。だから、与えられた役割をまっとうする立場でいたいと考えるわけです。あれこれ頭を悩ますのではなく与えられた作戦を忠実にこなせる人物でありたいと。

そうでないなら1人で自分の思うように生きたい。岳飛もそうだったはずなのに、いつの間にか仲間が増えていき、自分だけのことを考えられない立場になっていきます。そういうところも、今の自分と少し重なります。

好きとか嫌いとかではなく、それは天命として役割が与えられている。だとすれば、天命に従ってやるべきことをやっていけばいいのかなと。北海道にしても伊豆高原にしても、天が私に与えた役割で、私はそれをまっとうすればいい。

その結果、自然と周りに人が増えていく。そして、次にやらなくてはいけないことができてきて、それらをすべて終えたとき、岳飛のように人生を閉じることになる。それは私にとって理想であり、いま何となく見えている道です。

自分のことだけをやっていたい。でもそれは私には許されない。それでいて誰かに仕えることもできないわけで、だったら自分がやるしかありません。まだ何をするかは書きませんが、この仕事が終わりに近づいたら、次のプランについていろいろ語ろうかと思います。

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