人間に優劣はなく、あるのは個性だけ【半歩もしくは1歩下がれる人になる】

宿の仕事をするために敷地内の離れ小屋を借りているんですが、そこで仕事をしていたら目の前にアリの行列。どうやら柱をかじって穴を開け、室内に入ってきたようで、急いで木工用ボンドを買ってきて穴を塞ぎました。

夏の終わりにはトイレに羽アリが大量侵入してきたり、宿のラウンジに毎日のようにスズメバチが入ってきたりして、ずいぶんと虫に対する耐性がついてきたような気がします。スズメバチも室内の1対1なら、問題なく退治できるようになりました。

環境が人を育てると言いますが、毎日のように朝食を作り、お客さんの出迎えなどをしていると、私も宿の人のようになってきました。きっと1月に辞めるときには「もったいない」と言ってもらえるような気がします。

人間というのは適応できる動物だと思っているのですが、すべての人が同じように適応できるわけではありません。変化に適応するのに長い時間がかかる人もいれば、瞬時に適応する人もいます。私は比較的スムーズに適応できるタイプ。

昔から理解力だけは優れていたような気がします。学校の授業でわからなくなることはなく(英語を除き)、他の人に授業の内容を説明することも度々。でも、すぐに忘れるのでテストになると私が教えた人のほうがいい点数になります。

だから、適応スピードが速いことはそれほど大きなメリットではなく、ただの個性でしかありません。もちろん上手く使いこなすことができれば武器になりますが、ただの個性を自分の強みや魅力だと勘違いすると、いずれ恥をかくことになります。

人間に優劣などなく、あるのは個性だけ。自分が優れていると思えると、自尊心は満たされるかもしれません。でも自尊心なんて持っているだけ無駄というか、自ら錘を持って走っているようなもの。自ら人生を難しくしているように私には見えます。

いつも言っていることですが、みんな横一列の状態にあり、自分はそこから半歩もしくは1歩下がる。これが人生における最高の位置取りだと私は思っています。すべての人が自分よりも優れている。そう思えるようになると、すべてが楽になります。

誰かと競い合う必要もなく、無理やりマウントを取ることもない。誰かが道を譲れと言ってきたら、黙って譲ればいい。持っているものをよこせというなら、手放してしまえばいい。自分が本当に大切にしているもの以外は全部譲ってしまえばいい。

ただ、この考え方もなかなか理解されないので、私は変わり者のように見られることも多々あるのですが、私にしてみればみんなのほうが変わり者。わざわざ苦しくなる選択をして、自らを悪い方向に誘導しているようにしか見えません。

もっと穏やかにのんびりとすればいいのにと思うことも度々。ただ世の中のスピードはどんどん早くなっていき、のんびりしていると置いていかれている気持ちになります。そこで自分のスピードを守るか、それとも周りに合わせるかは人それぞれですが、私が選ぶのは前者。

時代の流れなんかについていかなくていいんです。流行りなんて知らなくても面白おかしく過ごせます。若いうちは時代の流れを追い続けてもいいですけどね。それもひとつの経験ですし。ただ、40代になったら周りに流されない自分でありたいものです。

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