なぜか次々と壊れていくのですが、これって北海道の厄払い?

盛岡遠征中にイヤホンが壊れました。Appleの有線イヤホンで作業用に使っています。音がいいわけじゃないんですが、可もなく不可もなしということで。あまりに音質がいいイヤホンで動画編集すると、普通のイヤホンで動画を見た人に違和感があるとかないとか。

そんなことはどうでもよくて、北海道から戻ってきてからディスプレイが壊れるし、無線イヤホンも壊れるしで、なんか次々と壊れていきます。モノが壊れるときは身代わりになってくれていると言いますが、いったい私にはどれだけ悪いことが起きようとしていたのでしょう。

ただ、私自身には悪いことが一切起きてないので、身代わり説は否定できず。むしろやることなすこと上手く言ってる感じ。もちろん能力を超えたことはできないのですが、自分の能力をきちんと発揮できているという意味でスムーズに日々を過ごしています。

一昨日も盛岡から帰ってくるのに、東海道新幹線が大幅な遅延をしており、そう思ったら東海道線も遅延して、時間までに戻ってこれそうにないかなと焦ったんですが、遅延をした結果、ちょうどいい時間に戻ってこれるという。

いわて盛岡シティマラソンもタイムはともかく忘れることのない大会になりそうですし、その夜は美味しいお店に連れて行ってもらい、ホテルに戻って電気を消すのも忘れて寝るくらい酔っ払って……それはそれは充実した1日でした。

宿の仕事も大きなトラブルが起きていませんし(宿そのものは悩ましい問題を抱えていますが)、ライティングの仕事も順調です。そんな状態なのに、いろいろ壊れていくわけです。順調さを自分の持ち物が支えてくれていると言われたら信じてしまいます。

まだ北海道の悪い流れを引きずっているという自覚はあります。北海道を辞めたから北海道のことがなくなるというわけではなく、きっとアイヌの神様がちょっかい出しているのでしょう。神様が飽きるまでしばらく、持ち物が壊れていくはず。

それは冗談としても、流れというのは簡単に切り替わるわけではなく、ゆっくりと知らないうちに次のフェーズへと切り替わっているもの。私の中の感覚ではまだ北海道の延長線上にいまの生活があって、ちょうど過渡期なのかなと思っています。

季節の変わり目のようなもので、電子機器が風邪でも引いたのでしょう。Macbook Airが壊れないことだけを願っていますが、形あるものはいつか壊れるので、そのときはそのとき。壊れたとしても、きっと何とかなるものです。

逆に考えれば、何かが立て続けに壊れるときは新しいことが始まるとき。きっとここからまた何かが動き始めるような気がします。それが何かはまだわかりませんが、まず間違いなく人生の転換期が目の前にやってきているというか、いまそのまっただ中かもしれません。

もちろん変わらず大事にしていくものもあります。でも大きな流れには抗えないし、抗ったところで何も変わらないというのは47年も生きていればわかります(そろそろ48年になりますが)。だから流されるまま、どこかに漂着すればいいかなと。

2023年は激動の1年になると思っていましたが、想像以上に動いた1年。きっと2024年はこれまで思っていなかった方向に進む1年。だから1年後に自分が何をしているかすらわかりませんが、とりあえずいま目の前にあることを全力で取り組むとしましょう。

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