言葉を選ばなくてはいけない時代・行動を選ばなくてはいけない時代を生きる

なんとも息苦しい時代になってきたなと思うことが多々。世の中の流れに乗っていない発言、たとえばLGBTQやSOGIに反するような発言を、公の場ですることは炎上の原因になります。新型コロナウイルスのワクチンに関する発言は、どちらの立場でも炎上します。

これまで表に出ることのなかったパワハラも、すぐにSNSにさらされて、人によってはそれで職を失うことになります。もっとも、パワハラやセクハラなどのハラスメントはそもそも許されるものではないので、こちらは同情の余地はありませんが。

でも、マウントを取ってしまうのが人間です。そして、どこまでが許容範囲内なのかの基準が曖昧で、学校で習っていないわけです。むしろ、主張することが求められる時代において、大人になった途端に周りの人の気持ちを考えろといわれても無理があります。

勘違いしないでほしいのですが、別にハラスメントに寛容になれと言いたいわけではなく、空気を読まない発言を控えるようにと言いたいわけでもありません。ただ、このままだと公の場で自分の言葉を使って発言する人がいなくなるだろうなと。

そんな世の中で本当にいいのかなとは思います。メディアに載る言葉はすべて建前だけで成り立ち、でも現実には建前の裏側にそれぞれの本心があるわけです。その捻れはさまざま不都合を引き起こします。少なくとも個人レベルでは自律神経の不調が起こる可能性が高く、かなり不健全です。

もっとも、こういう行き過ぎた流れは、必ず揺り戻しが起きるので、メディアでは裏表のない発言をする人がもてはやされて、もう少し言動の自由は戻ってくるはずです。でも、その人たちは次のターゲットになって潰されて、また発言するのが難しくなります。

できることなら、そういう楽しくないスパイラルから離れてしまうのがいいような気がします。誰かが不用意な発言をしても、誰かがハラスメントをしても「自分には関係ない」と言えるようにする。そして、本当に関与しないし、興味を持たないことも大事。

そういうやつがいるから世の中がよくならないのだと思う人もいるかもしれませんが、世界中で起きているすべてのことに関与するなんて無理です。そして、私たちは世のため人のために生きているのではなく、自分のために生きているわけです。

まず自分を満たすことが大事で、他の人のこと、世の中のことなんてそのあとの話。どこかのプロ野球選手がパワハラをしたとして、自分にはまったく関係のないことだと言い切り、そんなことよりも自分がやるべきことを積み重ねる。

その選手や、その選手が所属するチームのファンですと「自分には関係のないこと」なんて思えないのかもしれませんが、私なんかはそもそも特定の個人や組織を「応援する」こともありません。応援する時間があるなら自分をもっと磨きたいから。

もちろんそれは私だけの考え方で、ファンという存在を否定するつもりはありません。何かを応援することで人生が満たされる人のほうが圧倒的に多いのですから。ファンがいるから興行として成り立つというのもあります。

ただ、それがゆえに応援される人たちは自由に発言したり、行動したりできなくなる。その結果、応援対象となる人や組織の本質の部分が見えないまま応援することになる。アイドルのキラキラ輝いているところだけを見て好きになる。それを受け入れがたいと感じている自分がいます。

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