伊豆高原の宿にあった離れの荷物を、すべて宿直室に移す作業をしました。すでに1回自宅に持ち帰ってるのもあって、掃除も含めて1時間もかからずに完了。旅人を目指す人間として、常にそれくらいの荷物でありたいものです。
もちろん、自宅に持ち帰りもしているので、鶴巻温泉の自宅は荷物が溢れており……同じ食器が2セットあるような状態。今ならすぐに新婚生活を始められます。それは冗談として、自宅に戻って確定申告を終わらせたら、大型ゴミの手配が最初にやることになります。
この1年で増えたものを思い切って捨ててしまう。シューズもだいぶ入れ替えることになります。もしくはディスプレイするか。もうひと部屋あったらなとは思うんです。トレーニングルーム兼シューズ置き場として。でもこれから貧乏になるのにそんなことはできず。
自分の器に見合った生き方をする。たくさん物を買うとか、コレクションするとかは、私の器の形状とは違います。自分にとって大切なものは、すべて自分自身の中にあります。物事の考え方とか、ランニングするための体とか。
それ以外のものは、社会生活をする上で最低限あればいい。それは長年考えてきたことですが、どこかに甘さがあったのも事実。ここからは働き方もライフスタイルも妥協なく、理想の自分を目指していきます。ただ、長続きしないでしょうから、50歳までの期限付きで。
50歳までそういう生き方が確立できれば、そのあとは流れに乗っていくだけでうまくいくはず。これから2年かけて、徹底して物理的に削ぎ落とすこと。そして、多くの経験を積むこと。そこまでに失うものもあるでしょうけど、体ひとつあればきっと大丈夫。
鶴巻温泉から動くかどうかは50代になってから。もっとも、こうやって期限を切って何かをやろうとすると、毎回前倒しになるんですよね。30歳までに独立しようと考えてたときも、40歳で2回目の独立をしようと考えてたときも前倒し。
基本的にせっかちなんです。だからこれから1年の間に大きく動く可能性だってあります。決めたとおりの人生を進めるほど器用ではありませんし、行き当たりばったりの人生の方が好きなので。「こうしたらこうなる」そんなマニュアル通りの生き方は向いてないかなと。
ただ繰り返しになりますが、これまでかなり自分に甘かったのも事実。それでも何とかやってこれたのは、人に恵まれていたからこそ。多くの人に救われながら、何とかここまでやってきましたが、人生の後半はそれに甘えない自分でありたい。
むしろ、誰かを助けられる存在でありたい。これまで受けてきた恩をきちんと返し切ること。いや、受けた恩が大きすぎて、きっと100歳まで生きても返し切ることはできないのですが、少なくとも身近な人たちにとって、役に立つ人でありたい。
そのために大事なのは固執しないこと。考え方も持ち物も人間関係も。この歳で新しい出会いとかもそう多くはないのでしょうけど、動き回っていれば何かが起きて、縁のある人たちと出会うことになります。そういう縁を少しずつ広げていこうと思います。
さて、どこまで削ぎ落とすことができるのか。完成するまで自分の懐がもつのか。悩みはいろいろありますが、また違う景色を見るために、縛られない自分を目指します。世界はもっともっと広いし、自分の可能性だって無限大なんですから。