感触を確認しながら走り始める。走りながら接地場所を細かく変えてみる。シューズのポテンシャルを最大限に引き出す走り方を見つけ出すためだ。 頭ではフォアフット用のランニングシューズだと分かっていても、シューズには設計者も意図しないポテンシャルが隠されていることもある。
そもそも、このシューズは「どんな走り方をする人でもフィットする」と説明されていた。そんなことはあり得ない。もしそれが事実なら理論的に破綻していることになる。このシューズで速く走るには、フォアフットで間違いないことを確認した。
皇居外周コースは、すでに日が沈んでいる。東京マラソン前だというのにランナーの数が多くないのは、数十年に1度と言われている寒気によるものだろう。 気温は低いが寒さはない。風が吹かなければ、5℃を下回っていてもランナーにとっては心地よく感じられる。ただしスピードを上げていないので、まったく汗をかかない。
レンタルしたシューズの感覚に徐々に慣れていく。軽いシューズと言われているが、何も考えずに走ると振り子のような重さを感じる。ところが、走りがキレイに定まると、体全体がフッと浮き全てがゼロになる感覚がある。
このランニングシューズと同じコンセプトで作られた、トップランナー用のモデル。それを履いているランナーの多くは、レース後半になるとライバルとの駆け引きではなく、しきりにランニングフォームを気にして走っているように見えた。その理由の1つがこの体がゼロになる感覚にあるのだろう。 最適なフォームで走れば、どこまででも速く走れそうになるが、疲労が溜まってくると、フォームが乱れて理想の走りができなくなる。
フルマラソンは駆け引きがあってレースになるのだが、このシューズが出て来てからは、1キロを3分で走り続ければ2時間6分でゴールできるというシンプルな考えのもとレースが展開されている。 それに耐えられなくなった選手から脱落していく。シューズを履きこなすことができたものが勝者だ。
マラソンはもうランナーの力だけでは勝てなくなっている。シューズの差が結果になって現れているのだが、日本メーカーはいまだにその現実から目を背けている。 そして陸王のような、薄底シューズがもてはやされる。ランナーがケガをするのはランニングシューのせいだという、間違った認識とともに。 確かにそんな時代もあったのは事実。だか、わたしがいま履いて走っているこの厚底シューズを履いてケガをするランナーはいないだろう。練習不足で筋力が足りてないランナーを除いては。
接地した瞬間に軽く膝がスライドするのを感じる。一般的なランニングシューズは接地した瞬間に膝が捻られる。プロネーションと呼ばれる動きだが、これはランニングシューズでは仕方のないものだとされていた。 ところが、このシューズをはじめ、最近の多くのシューズで膝を捻らない工夫がされている。
このシューズは膝がねじれないようにスライドさせることで、膝に負担がかからないような構造になっている。
「あんな厚底でスピードも出したら、ランナーがケガをする」履いてもないのにそう言った人がいた。 科学は常に進歩し続けている。いつまでも数年前の知識で語っていると、あっという間に時代に取り残されていく。 もっとも必ずしも時代についていく必要はない。意識して止まらないと、自分が過去に囚われていることにすら気づけないというだけのこと。
「もっとスピードを出せ」 シューズがそう言っているような気がした。
「この程度で理解したつもりか?」 そうわたしを煽ってくる。
皇居外周の2周目。シューズに乗せられて、わたしは徐々にスピードをあげる。ただし速く走ろうとするのではなく、前足部にしっかり体重をかけることと、足の回転数を上げることを意識する。 レンタルシューズで、すでに200キロは走っているはずなのに、スピードを上げれば上げるほど、ソールが地面に吸い付いていく。 最適な接地をすれば、足は勝手に前へと進む心地よさ。
ひとつだけ大きな問題があった。 小さく曲がることができない。 前への推進力が大きすぎて、小回りが全く効かない。マラソンで速く走るためのシューズなのだからそれでいい。マラソンに横の動きは必要ないのだから。 ただ、これまでにない感覚で戸惑ってしまう。
自分ではスピードをそれほど出していないつもりでも、周りのランナーを次々とパスしていく。最適なフォームで空気を切り裂いていく感覚は快感すら覚える。 「とんでもないシューズだ」 そう思いながら走っていたのだが、シューズからとんでもない声が聞こえてくる。
「そろそろ本気で行こうか」
わたしが心地いいと感じていたのは、まだリミッターがかかっている状態だったらしい。 シューズがグッと前に行こうとする。ただそこは、歩道が狭く、足元に凍った雪も残っている場所。 わたしはシューズをなだめ落ち着かせる。 シューズが拗ねたのだろうか、フッと右足が軽くなる。靴紐がほどけかかっていた。 わたしは他のランナーの邪魔にならないようにして止まり、靴紐を結び直した。
そこからまた走り始めるのだが、どうにもこうにも走りがおかしい。シューズがまったく反応してくれなくなっている。 スピードを上げようとすればするほど無様な走りになる。さっきまでの走りが見事に消えてなくなっていた。
このまま走り終える訳にもいかない。1度スピードを完全に緩めて、体の力も出来るだけ抜く。体の軸だけを整えて、あとはシューズに任せる。 ゆっくりとシューズの機嫌が良くなっていくのを感じられる。スピードが完全に戻ったところで、足とシューズが完全に一体化した。 「さあ行こうか」 シューズがそう言った。
一気に足の回転数を上げて、これまで以上に前足部に体重をかける。地面を蹴る必要はない。 親指から小指まで、全神経を集中させて、しっかりと地面を掴む。 上半身はリラックスできているが、徐々にブレが出始める。
「腹斜筋が鍛えられてないから、そうなるんだよ」
シューズがわたしを叱りつける。 心肺機能もギリギリのところにあるが、シューズにはまだ余力がある。
「もっと追い込んだ練習をして、心肺機能を高めろ」
容赦なくダメ出しをしてくる。
最後の100メートル。スピードをゆっくりと落としていく。こういう時は急に止まってはいけない。回転数だけを意識しながら慎重に減速する。
「まずまずだな」
そう言われた気がした。
自分がシューズを試すつもりだったのに、シューズに試される形となった。 この上位モデルがあるということを、わたしはどう受け止めればいいのだろう。
この上位モデルは走りの効率を4%も向上させるらしいが、このシューズでさえ1割くらい速く走れる感覚がある。 ドーピングシューズと揶揄されることもあるのだが、この上位モデルが世界の大きなマラソン大会で上位を独占しているのも事実。
「これは悪魔のシューズだ」
確実にタイムは出せるが、それは自分が成長したからではない。シューズを変えて出た自己ベストに意味があるのか。ナイキズームフライ、このシューズを履く全てのランナーが自己ベスト更新に酔いながら、それを自問し続けることになるのだろう。
とはいえ、このシューズを履いたときのスピードに抗えるランナーがどれだけいるだろうか。スピードには中毒性があり、一度それを体感すると、体は常にその領域を欲する。このシューズで走るというのは悪魔との契約のようなもの。
最高のスピードを与える代わりに、ランナーから成長するための努力を奪い取る。
「ズームフライはどうですか?」そう聞かれたら、わたしはどう答えればいいのだろう。悪魔の使いとして勧めるべきか、それとも速さの魅力を隠して購入を止めるべきか。 わたしはその答えを見つけられずにいる。
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