先日の富士山マラソンで、わたしは次のようなツイートをしています。
富士山マラソンの運営者は制限時間ギリギリの15時にゴールして、15時30分までにシャトルバスの乗り場まで行けるのか自分で試してみたらいい。#富士山マラソン #駐車場までが富士山マラソン pic.twitter.com/HNnVu8x3GB— しげ@ハダシスト (@tshige07) November 24, 2019
富士山マラソンに出場した知人の1人が初マラソンで、懸命に走って制限時間ギリギリにゴールしています。このときの時間が15時で、しばらくしたら『駐車場へのシャトルバスは15:30が最終です」とのアナウンスがありました。
大会会場からシャトルバス乗り場までは、普通の人が歩いても20分かかります。完走してテキパキ動いても、荷物を回収するまでに20分はかかります。どう考えても、シャトルバスの時間設定が間違っています。
結果的に現場の人がうまく調査してくれたので16時にシャトルバスに乗れましたが、それが最終便となって、それ以降にシャトルバス乗り場に来た人がどのようにして駐車場まで移動したかはわかりません。
富士山マラソンの運営を批判したいわけではなく(批判はしたいけど、それがこの記事の趣旨ではない)、なぜこういうことが起きるのかについて自分なりに考え、そこに気づきがあったので記事としてご紹介したいと思います。
マラソン大会運営者と参加者の意識の違い
私たち市民ランナーはマラソンをサービス業だと思っています。お金を払って、その対価として走っているので、ディズニーランドやフィールドアスレチックなどで遊ぶのと同じ感覚です。だから、出費に見合ったサービスを提供されないと「ひどい運営」ということになります。
ところがマラソンを運営する側からすると、マラソンはサービス業ではありません。参加費はもらっていても、それだけでは赤字になるので、運営側が数千万円も負担をしなくてはいけません。それを負担するのが自治体の場合もあれば、スポンサーである場合もあります。
だから、運営にしてみれば「自分たちが身銭を切って用意したイベントに参加させてやっている」という感覚になります。この傾向は何十年も続いているマラソン大会ほど強くなります。
わたしはそれを間違っているとは思いません。マラソンブームが起きる前にはそれが当たり前の感覚だったのでしょうし、日本の市民マラソンを支えていたのは、間違いなくそういった大会を運営していた人たちです。彼らがいなければマラソンブームもありませんでした。
このため、走歴が20年以上もあるような人で、「この大会はひどい」というような人はあまりいません。むしろ、今の状況を恵まれすぎていると感じている人が多く、それどころか「サービスを減らして参加費を下げてほしい」と考えている人も多くいます。
ただ、ランニング人口全体で見たときに、参加者はマラソンをサービス業として考え、運営者は身を削ってイベントを提供していると考えており、このギャップが参加者の不満につながっているように感じます。
マラソン大会をサービス業に変えた東京マラソン
ところが、東京マラソンが誕生して流れが大きく変わりました。
東京マラソンは「マラソンはサービス業」という考えを前面に押し出してきました。もちろん自治体の持ち出しもありますし、スポンサーの負担もあります。でも、まず参加者の満足度ありきとしてマラソン大会を再構築し、それが大成功につながっています。
他のマラソン大会と東京マラソンの決定的な違いはそこにあります。
東京マラソンはどれだけ人気が出ても、偉そうにすることはありません(最近はそのスタンスも崩れ始めましたが)。すべてはランナーの喜びのため。そこを軸にして関わるすべての人たちがWIN-WINになれるように考えられています。
東京マラソンが誕生し、大成功を収めたことで、同じようにランナーの立場になって構築されたマラソン大会が増えていきます。現在RUNNETでの評価が安定して90点を超えるような大会がそれらにあたります。
ランナーが何を求めていて、何を嫌うのかを徹底的に分析して、自分たちの大会をどんどん改善させていき、ランナーの満足度を高めていく。そうすることでリピーターが増え、人気も高まり、スポンサーもお金を出しやすくなるというサイクルを生み出しています。
これはランナーにとってありがたいことですが、ランナーにとっての「マラソン=サービス業」という意識を高めることになりました。そうなると何が起きるのか。話は簡単です。マラソンをサービス業として提供していない大会とかみ合わなくなってしまいます。
東京マラソンが提供しているレベルのサービスを受けられないと、その大会に対して低い評価をしてしまいます。「他の大会はもっとしっかりしてる」と。でも、古い体質の大会運営者からすれば「これだけしか払ってないのに、さらに求めるなんて無茶苦茶だ」となります。
もちろん、古い体質から抜け出せないことが問題なのですが、何十年も続いてきた大会がそう簡単に変われるわけがありません。既得権益なども絡んでいますし、いまさら新しいことに挑戦するのには勇気がいります。
古い体質の大会は、そこから脱却していくのが理想ですか、現実はそんなにも甘くはありません。社会人ならそれくらいのことはわかると思います。古くて大きな組織は動かないし変わりません。もう限界というところまで追い込まれて、初めて重い腰を上げることになります。
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マラソン大会は損を取って得をするビジネス
マラソン大会というのはビジネスとして考えたとき、かなり複雑な構造をしています。それ単体ではどうしても赤字になります。スポンサーの支援や税金をかけずに開催したいなら、参加費を5万円くらいにしなくてはいけません。そうなると誰も参加してくれません。
参加者が出せる金額というところでいえば、1万円前後というのが落としどころになります。東京マラソンくらいになれば、2万円近く出しても走りたい人はいますが、定員割れするような大会に、1万円以上も払いたい人はほとんどいません。
だから1万円程度の参加費で開催しなくてはいけません。だから地域によっては税金を使います。大田原市が大田原マラソンの3年間休止を決めましたが、マラソン大会に限られた税金を使うことが本当に正しいのか、疑問を持ったわけです。おそらく他の自治体でも同じ動きが見られるようになるはずです。
でも、マラソンは損を取って得をするイベントです。仮に1000万円の赤字になって、それを税金で補うことになっても、参加者がやってくるという経済効果があります。その地域の知名度も上がります。横浜マラソンは1.3億円の税金を注ぎ込んで、50億円以上の経済効果を生み出しています。
これを「1.3億円も税金の無駄遣い」とするか、「正しい税金の使い方」とするかは自治体全体で議論することなので、ここでとやかく言うつもりはありません。
ただ、マラソン大会とは別のところでプラスにしようと考えているなら、やはりマラソン大会はサービス業というスタンスを取るべきで、参加しているランナーの声を聞いて改善を積み重ねていくしかありません。押し付けのサービスではなく、本当に必要なサービスを提供する。
マラソン大会はもうすでに、殿様商売では成り立たなくなっていますから。
ランナーも感謝の気持ちを忘れてはいけない
大会側がランナーの立場になって大会を組み立てる。そのうえで、マラソン大会で持ち出しになっても、スポンサーも自治体も結果的には潤うように構築し直すというのが理想です。それに合わせてランナーも考え方を変えていかなくてはいけません。
マラソン大会は自分の出した参加費では成り立たないという事実を、まずはしっかりと認識してください。そして、遠征をしたときには遠征先のお店で食事をしたり、お土産を買っていったりして経済効果を押し上げるのに貢献する必要があります。
もちろん必要のないお土産は買わなくてもいいのですが、「ちょっと気になる」ものがあれば迷わず買ってしまいましょう。それで地元のお店が潤えば「マラソン大会を継続してほしい」の声が広がります。
また、ゼッケンを折りたたんでスポンサーを隠している人もいますが、それは泥棒をしているようなものですのでやめてください。スポンサーの名前が入っているのが気に入らないなら、スポンサーのない大会に出場すべきです。草レース以外にそんな大会はほとんどないとは思いますが。
ランナーはお金を出してくれているスポンサーに感謝し、大会の準備を行ってくれた運営に感謝する。そのうえで改善が必要だなと思ったら、自分なりの方法で「こうすれば良くなる」を提案してください。マラソン大会はそうやって成長していきます。
マラソン大会は純粋なサービス業ではありません。だからこそ、ランナーも運営側も歩み寄る必要があります。お互いが尊重しあえるようになれば、マラソン大会はもっと素敵な場になります。
参加者:走ってやっている
運営者:走らせてやっている
参加者:走らせてもらっている
運営者:走りにきてくれる
どっちのほうがいいマラソン大会になるかは、あえて言うまでもありません。マラソン大会をもっと素敵な場にするために、ランナーも運営者も頭の片隅でいいので、覚えておいてもらえればと願っています。