ランニングとの向き合い方を考え直すときなのかもしれない【コロナ禍後のこと】

外出自粛要請があってからしばらくはランニングを控えていて、そのあと朝ランだけ再開しましたが、夕方には1回も走っていません。それはすなわち速く走るためのランニングを一切起こっていないことになります。スクワットは3日に1回の割合でしていますがそれだけです。

この状況になる過程で、わたしは2020-2021シーズンは記録を狙うのは無理だと悟りました。いつ収束するのかはわかりませんし、マラソン大会は軒並み中止を決定しています。そうなってくると、わたしにとってのランニングをする意味合いが変わってきます。今日はその話をしていこうとおもいます。

目次

最悪のシナリオはマラソン大会がなくなること

もし収束することなく、だらだらとこのウイルスが蔓延し続けるなら、おそらく1〜2年間はマラソン大会が開催されません。もちろん落ち着いたらマラソン大会は間違いなく開催されます。市民の健康促進に役立つという名目がありますので。

新型コロナウイルスが落ち着いたら、人々の健康意識が高くなり、間違いなくランニングブームがやってきます。ただ、それが1年後なのか2年後なのかは誰にもわかりません。まずは収束しないことには次の一歩に踏み出すことができません。

2〜3年マラソン大会が行われないと、わたしは年齢的にもう過去の自分を超えていくのが難しくなります。加齢というのはそういうことです。もちろん抗いますが、それにだって限度があります。スクワットだけで走力を維持できるほどマラソンは甘くありません。

これはかなり切実な問題ですが、個人的にはあり得ることだとは思っています。むしろ現状では最も有力は未来だと思っています。1度収束したと思ったら、また冬になって再発することだって考えられるわけですから。

ランニングに速さではなく何を求めるのか

2〜3年間マラソン大会がないなら、わたしくらいの年齢のランナーにとっては、方向転換が必要になってきます。現実的に走力が落ちるわけで、もう過去の自分を追い越すことが現実的ではなくなります。いずれやってくると思った日がすでにやってきているわけです。

だとしたら、もうファンランとしてマラソンを楽しむのか。いや楽しめるのだろうか。

わたしは昨シーズンにサブ3を狙ってトレーニングを行いましたが、その前はタイムを追わないランナーになっていました。愛媛マラソンのサブ3.5とハルカススカイランのためにトレーニングはしましたが、基本スタンスは「がんばらない」でした。

その状態にすんなり戻れるかというと、それはなかなか難しいところ。そもそもマラソン大会すらない状態なわけですから、モチベーション維持も難しく、下手すれば3日に1回のスクワットも続けられなくなる可能性もあります。

まだ体の変化を感じられるのでスクワットも楽しめていますが、どこかで見切りをつけないとも限りません。これ以上継続してもムダだと思ったら、後を引かずにすぐに次のステップに切り替えるタイプですので。

健康のためのランニングは必要になる

ただ朝ランだけは何があっても続けていくことになります。わたしのような自宅で仕事をするフリーランスにとって、朝のランニングは仕事のようなものです。作家の村上春樹さんが走り続けているのと同じことで、健康に仕事を続けるためにランニングは必要です。

最近SNSでは「マスクやBUFFをしてまで走る必要があるのか?」と書き込みをしているランナーを見かけますが、この状況下だから継続した運動が必要になります。目先ではストレス解消や免疫力向上になります。長い目で見れば、将来の医療費を減らすのに役立ちます。

ランナーは歩行者から疎ましく思われていますが、みんなよく考えてください。この生活を続けてコロナ禍後の健康診断で再診にならない自信ありますか?いつもよりもお酒を多くのみ、いつもよりも運動をしない。精神的にストレスを抱えている。

再診の費用は会社負担です。そもそも健康診断も自由診療なので会社負担ですが、再診になったら当然会社負担が増えるわけです。自分の懐が痛まないから気にならないかもしれませんが、どの会社もすでにボロボロの状態なのに、健康診断で会社にさらに負担をかける。

場合によってはそこから本格的な治療が必要になることもあります。そうなると今度は税金を使います。1日30分のランニングをするだけでそれを回避できるなら、世の中の役に立っているのはランナーのほうです。偉そうに言うようなことではありませんが。

いずれにしても、健康維持のためのランニングはどんな状況でも必要です。健康で居続けたいのであれば。

自分にとってランニングとは何なのか

健康のためにランニングは必要だけど、そのためだけに走り続けられるのか。これはとても難しい話です。ただ、わたしは記録を狙う走りができるという未来はすでに切り離しています。だから今はポイント練習やロング走ができなくても落ち着いています。

それこそ、鍛えるようなランニングは今すべきことではないと割り切っています。スクワットは面白いから続けているだけ。

きっとここからマラソン大会とは違う挑戦を行うんだろうと思っています。街道ランのような自分なりのチャレンジ。以前から話している金沢から東京までを5日間で走るというチャレンジや、わたしが旅ランに目覚めた日本海から太平洋(実際は駿河湾)までのランをまたやりたいなと。

他にも走ってみたい場所がいくつもあります。24時間裸足チャレンジもやりたいですが、これは夢の島陸上競技の外周が整備されていたので、来年以降の夢の島24時間リレーマラソンでもいいかなと。みんながやらないようなことをします。

もっと言えば自律神経とランニングの関係についても追及していきたいし、実はランニングに対してやりたい意欲は高かったりします。マラソン大会へのモチベーションは下がっていますが、走ることが嫌いなわけじゃない。

わたしにとってランニングは生きることとほぼ同じ意味になりつつあるので、やはり走り続けるしかないのでしょう。この世の中がどうなったとしても。そう思ったら少し気が楽になりました。「走る続けるしかないから走る」それだけ。シンプルでいいじゃないですか。

まとめ

こういう大きなことが起きたときは、人生の転換期になることが多々あります。東日本大震災の後に生き方が変わった人は大勢いるはずです。わたしもそうでしたし、あの震災があったから会社もやめてこういう暮らしになったのでしょう。

あのときは様々な変化がありましたが、今回はそれ以上のインパクトかもしれません。となるとコロナ禍が起こる前の状態に戻れるなんて虫のいい話はないでしょう。望もうと望むまいと変化はやって来ます。だったら、自分から一歩を踏み出すとしましょう。

ランニングとの向き合い方を大きく変える。具体的にどうするかはこれから迷いながら決めていきます。ただサブ3狙いはもうないかな。そういう目標がとてもちっぽけに感じるので。追い込むのが好きなので、愛媛マラソンだけはマジメに走りますけど、鼻息荒くいくことはないでしょう。

そういうランニング人生だったんだと思って、次のステージへ向かうとします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次