45歳のリカバリー力【若さを失うということ】

我ながら驚くほど回復しない。45歳になったからというのではなく、ゆっくりとそうなっていたのだが、「走る」だけを考えたときには実はそれほどリカバリーというのは関係ない。回復度が20%くらいでも走ろうと思えば走れる。普段はそうやってコンディションを誤魔化しながら走っている。

だがレースとなると話は変わってくる。激坂最速王決定戦 2020@箱根ターンパイクは久しぶりのレースということで取材メインではあるのだが、それなりの走りをしたいと考えている。そうなるとベストコンディションでスタートラインに立つ必要がある。このとき回復度が100%でないといけない。

だから逆算して、先週の木曜日に20km以上の坂道トレーニングを入れたのだが、笑うしかないくらい回復しない。日曜日に練習会をして、自転車を漕いだのもあるのだがばっちり疲労感があるし、膝のあちこちに違和感がある。残り数日でどこまでコンディションが戻るのか、少し焦りだした。

若い頃はいつだってベストコンディションだった。学生時代はサッカーだったが、セブンイレブンの夜勤明けでもないかぎり、疲労感もなく毎日のようにボールを追うことができたのだが、それが若さだということをこの歳にして理解した。45歳は驚くほど回復しない。

良い歳のとり方をしたいとは思う。だが、そのベースには加齢による衰えという考え方がすっぽり抜け落ちている。いつまでも同じように健康で、美味しいものをいくらでも食べられてと思っている自分がいるのだが、もちろんそんなわけはない。そもそもたくさん食べるタイプではないが、食は年々細くなる。

髪には白いものが随分と増えている。染めれば若々しく見えるのかもしれないが、若々しく見られたいわけではない。歳相応で十分だ。だが体が衰えていくというのはなんとかして防ぎたい。幸運なことに、科学が進んで老化の原因が活性酸素や糖化にあることはわかっている。

食事を見直すだけでもある程度は防ぐことができる。だが、この世界で不老不死に成功した人がいないことからもわかるように、老いを完全に防ぐことはできない。だから、きちんと現状と向き合って体に無理をさせないことが大事になる。ランナーなら回復に十分な時間を確保することも重要だ。

もう中2日のポイント練習に耐えられる年齢ではない。

これを受け入れられるかどうかはとても大切なことだと思う。マラソンは走れば走るほど消耗するスポーツ。血中の糖も関節もすべて消耗し、それをリカバリーするときの超回復を狙って以前よりも走力を高める。リカバリーできないほどの消耗は命を削るだけだ。

長距離ランナーの寿命は短い。ランナーとしての寿命だけでなく人生の寿命も短くなる。長生きをしたければマラソンなんてするべきではないのだろう。だが、わたしは長生きを望んでいるわけではない。わたしが走るのは今を楽しむためであり、濃い時間を過ごすためだ。

その濃度をより高いものにするために、厳しいトレーニングも行う。きっとそのスタンスはこれからも変わらないだろう。ただ、リカバリーの意識をもっと高める必要がある。これまではトレーニングがランニングのメインだったが、これからはリカバリーがメインになる。

リカバリーが間に合う範囲でトレーニングの質を高める。嫌いだったストレッチなどもする必要があるのだろう。神様が現れて強靭な体を与えてくれるわけではない。きちんとメンテナンスをしておけば、まだ老化のスピードを抑えることは出来るはずだ。

もちろん速く走れるのを諦めるわけではない。力技でなんとかしようというのを手放すだけだ。経験と知識、そして技術でもっと速くなることはできると信じている。気持ちは若いつもりだが、体はすでに若くはない。現実を受け入れて、今できることを積み重ねる。ただそれだけだ。

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