先週、万里の長城マラソンのプロモーションビデオの撮影で北京に行ったので、お盆休み4連休はすでに休み気分でも何でもないので、旅に出かけることもなく最初の2日間は箱根でひとり合宿でした(ひとりなので本当は合宿ではない…)。箱根はこの時期でも気温が20度の前半ぐらいまでしか上がらないので夏合宿には最適です。わたしはいつも車中泊で泊まりこむのですが、野宿可能な涼しさです。今回の合宿の課題は「最も効率のよいランニングフォームの模索」でした。
マラソンで速く走りたいと考えたとき、わたしのような素人ランナーはとにかく速く足を動かすことと、力強く地面を蹴ろうとしてしまいます。実際、それである程度までは速く走ることができるようになります。でも、ある程度までです。そのやり方だと、どれだけ練習してもどうしても越えられない壁というものがあるのです。そこで考えたどり着いたのは「速く走ろうとするから速く走れない」のではないかという禅問答のような真理です。
これは何もランニングに限ったことではありません。女の子にモテたいと思って、モテるように一生懸命になっている人ほどモテないのと同じですね。いや、決してわたしのことではありません。例えばですよ。
バガボンド37巻で宮本武蔵が農民に剣を教えるシーンで「腕はないと思って(剣を)振ってください」と言います。これがそのまま当てはまります。「脚はないものと思って走る」これこそが理想のフォームではないかとわたしは思うのです。速く走りたければ足に頼ってはいけません。
わたしがピラティスを学んでいる鎌倉SUGATAのインストラクターMiyakoさんも同じようなことを言っていました。ピラティスで力を意識するのはふくらはぎだけだそうで、他は力を入れないわけではないけど、力を意識するような体の使い方をしないそうです。正しい姿勢を維持しながら脱力できるようになるのが理想なのだと教わりました。
マラソンで速くなるのも力強く走ることではなく、正しい体の動きをさせることが大切なのではないかと思うのです。それを無意識でできるようにするために練習があります。最初は意識してその動きを身につけなければいけませんが、何度も何度も繰り返すことで、無駄な力が抜けた綺麗なフォームで速く走れるようになる。だから大事なのは練習でのアプローチの仕方なんだろうと思います。
ただ、まず「速く走ろうとするから速く走れない」という意識を持つ必要があり、そして体との対話ができなければいけません。速く走るためにどの筋肉を意識するのか、各部位にどのような動きをさせるのか、そういうことができない状態では理想のフォームは絵に描いた餅でしかありません。わたしは体と上手に会話するために裸足で走ったり、ピラティスをしているのです。
あくまでもこれらはわたしの持論です。いやそうじゃないだろうという異論は当然あると思います。でも、わたしはこの力を入れない正しいフォームでの走りを追求し、その先にサブスリーがあると信じてトレーニングを続けます。正しいかどうかがわかるには数年かかるかもしれませんが、コツコツ積み重ねて結果を出してみせます。
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