松浦弥太郎「それからの僕にはマラソンがあった」を読み終えて

松浦弥太郎さんのエッセイを好んで読んでいた時期がありました。何を読んでいたのかは覚えていませんし、きっかけも思い出せません。もちろん書かれていたことすら覚えておらず、きっと同じエッセイを読んでも、今なら新鮮な気持ちで読める気がします。

そんな松浦弥太郎さんがマラソンに関する書籍「それからの僕にはマラソンがあった」を出しているということで、久しぶりに手にしてみることに。ページを捲るたびに、かつて読んだエッセイの内容は覚えてないけど、大きな影響を受けていたんだと感じることに。

考え方が近いということは、エッセイを通じて松浦弥太郎さんの考え方が染み付いていたのでしょう。そういう意味では、私という人間は松浦弥太郎さん、村上龍さん、石田衣良さん、北方謙三さん、浅田次郎さん、司馬遼太郎さんで作られています。

司馬遼太郎さんだけは思考というよりは知識の部分の影響が大きいのですが。そんなことはどうでもよくて「それからの僕にはマラソンがあった」の話です。本の内容については各自に読んでもらいたいのであまり触れませんが、「走る」とは何なのかを分かりやすくまとめてくれています。

ランニングを始めたいと考えている人や、走力の低下により自己ベスト更新を狙えなくなり、目標を失った人などに読んでもらいたい内容になっています。ただ個人的には絶賛という内容ではなく、共感できるところもあれば、そうじゃないのになと感じるところも。

別にこの本の内容や松浦弥太郎さんの考え方を否定したいわけではなく、この本に書かれていることに100%賛同しないでいられるくらい、私も一端のランナーになったんだと感じたということ。きっと松浦弥太郎さんのエッセイを愛読していたころなら、本の内容に首が痛くなるほど頷いていたはずです。

自分では18歳くらいから1ミリも成長していない感覚なのですが、長く生きているとなんらかの変化があって、自分で考えられるようになるもんですね。もちろん、自分の考えだけが正しいなんて考えるほど傲慢でもなく、まだまだ未熟という意識もあります。

「それからの僕にはマラソンがあった」では、実際に走ったことがない人にもわかるように言葉を選んでいるので、なるほどこういう説明だと伝わるのだと学ぶところも多々あります。ただ、これはあくまでも松浦弥太郎がそう考えるというだけのこと。

この本に書かれていることもまた、松浦弥太郎さんの中で正しいというだけ。きっとかつての私のように、書かれていることを信じ、影響を受ける人もいるかと思いますが、そこはまだ通過点。マラソンとはとてもパーソナルなスポーツであり、自分なりの正解を自分で導けるようになる必要があります。

なので「それからの僕にはマラソンがあった」を読んで分かったような気持ちにはなりないことです。そこは思考のためのスタート地点であり、そこから自分の流派を作り上げることが大切です。そうでなければ走る意味なんてありませんから。

ただ、多くのランナーが走る意味について考えたこともなく、ただなんとなく走っているのも事実。だとすれば「それからの僕にはマラソンがあった」は手に取るべき1冊です。自分がなぜ走るのか、どこを目指すのかを棚卸するためのきっかけになるので。

そしてそこから自分なりのランニング哲学を築いていく。これもマラソンの楽しみ方のひとつですね。走る理由や目指すところは人それぞれ。でも、それを自分の中で明確にしているかどうかで、見える景色が変わってきます。読んでも速くなることはないエッセイですが、読んだらきっと走ることがもっと好きになるはずです。

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