難しいことはない、ただ走り続ければいいのだ

FUJI(旧UTMF)が開催されたようで、Twitterのタイムラインがにぎやかになっていました。いつも不運が起きる大会というイメージがありますが、何事もなく開催できたことを1人のランナーとして、一度は走ってみたいと考えているランナーとして嬉しく思います。

100kmや100マイルと聞くと「そんな距離、走れるわけない」と多くのランナーが言います。やってみて何度も失敗したならいいのですが、やらずに「無理」という人とは仲良くなれそうにありません。まぁ誰も私と仲良くなることなんて望んでないでしょうが。

確かに簡単ではありません。100kmというのはとんでもない距離で、その距離を自分1人で走るとなるとかなりの経験や走力が求められます。「じゃあ無理じゃないか」と思うかもしれませんが、無理かどうかは自分が決めることではありません。

やるかどうかは自分で決めることです。でもできるかどうかは「やってみなければわからない」わけです。それはウルトラマラソンやトレイルランニングなどに限りません。やる前から白旗を揚げるなんて、もったいないというのが私の考え方。

思い切って飛び出してみたら、そこで新しい経験ができるかもしれません。失敗だって人生の糧になります。だから「無理」と思うことと、「やらない」と決めるとは必ずしもイコールではありません。「無理かもしれないけどやる」という判断基準が私にはあります。

フルマラソンを走る前に24時間マラソンにエントリーしたのも、五街道をすべて走ったことも、普通に考えれば「無理」なんです。でも失敗したところで失うものは何もありません。そして得られるのは経験。ノーリスクハイリターンなのにやらない意味がわかりません。

もちろんやらないという判断があってもいい。やることでなんらかのリスクを伴うケースで、自分には守るべきものがあるとなると、そんなときは「やらない」とするのが普通。私が何にでも手を出しているのは守るべきものがひとつもないから。

私の場合はすべてを失ったとことで、またやり直せます。そこそこ働けるので、少なくともあと数年は何らかの仕事が見つかります。だから無謀な挑戦をすることに躊躇せずに済みます。だから何でもやったらいいというのは私を基準にした場合の話です。

「やってみたいけど自分には無理」そういうものがあって当然。ただ、本当に無理なら「やってみたい」という想いはさっさと手放したほうがいい。できないことをできるようになりたいけど、そこに対して人生をかけるほどの努力はできない。そういう矛盾だらけの思考は自分を苦しめることになります。

本当は難しいことなんてひとつもないんですよ。ランナーはただ走ればいいだけですから。走り続けるだけでよくって、変な感情を持ち込むから心が折れたりするわけです。100km走ると決めたら、達成するまで淡々と積み重ねるだけなのに。

それだけでいいのに、自分で勝手にハードルを高めて諦めている。もったいないことです。無理に挑戦する必要なんてありません。ウルトラマラソンなんて自分の寿命を削ることになる不健康なスポーツなのですから、長生きしたければやらないのがベスト。

ただ、ほんの少しでもやりたい気持ちがあるなら、「できない」とか「無理」とか考えないことです。どうすればできるのかしっかり考えてください。そして実行する。それでできないようなことなんてほとんどありません。少なくとも私の場合は。

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