あべのハルカスを駆け上がってきた:SJC大阪大会というリトマス試験紙

ある程度の想定はしていました。昨年のタイムが13分4秒でしたので、14分台で走れたらいいなと。でも現実はもっと厳しく、15分21秒というとんでもない記録。誤魔化しが効かないのが階段マラソン。想像以上に現在地が悪くて少し焦っています。

しかも毎年2回走っているのに(メディア枠を活用)、今年は1回だけ。2回も走れる自信がなかったんです。それくらい練習できていない自覚はありました。なので、その1回にミラーレスカメラを持って走ったというのもあります。それにしてもです。

コンディションは悪くありませんでした。体重も例年と変わらないくらい。裸足なのはいつも通りで、そもそも階段マラソンで靴を履く意味がわかりません。スタート前に足が冷えるというデメリットはありますが、階段を上がるのにシューズのグリップなど必要なく。

スタート直後もそれほど体は重たくなく、狙い通りのペースで駆け上がります。カメラを右手に持っていたので、手すりを掴めませんでしたが、スタート直後のオーバーペースを抑えるにはちょうどいいかなと。でも、すぐに心拍数が上がって息が切れそうになります。

そこで、カメラを左手に持ち替えて右手は手すりを頼りにして1段ずつ上がるのと1段飛ばしを織り交ぜながら、限界ラインを超えないように意識しながら登ります。ただ、いつもよりも時間は早く過ぎていき「もう半分?」みたいな感じ。いま思えばペースを上げられないことで余力が残っていただけかも。

ただ、40階から先はいつも通りの地獄。ここで踏ん張れないのが今の実力。走っているのではなく、ただ足を動かしているだけ。後からスタートした選手に簡単に追い抜かれて、それで奮起する余裕もない。そして、苦しみと絶望的なタイムを記録してフィニッシュ。

全然悔しくはありません。なんせ練習をしていないのですから。もっとできたとも思いません。ただ、明確だったのは「来年は2分を縮める」と誓ったということ。以前のように階段マラソンで結果を出そうと鼻息を荒くしているのではなく、このまま1年で失ったものを取り戻さなくてはいけないという危機感。

きっとこのままだと愛媛マラソンもアスリート枠を確保できません。これもある程度は想定しておかなくてはいけません。ただ、それは今シーズンに限ったことで、2024-2025シーズンはコロナ禍前の自分に戻すことを必須の課題にしなくてはと。

このまま、かつてはそこそこ走れていた人になるのは耐えられません。60歳までは、それなりに走れる自分でありたい。そのためには来年はきちんとトレーニング時間を確保しなくてはいけません。ここがランナーとしてどう生きるかの分岐点です。

そうは言うものの、1年後に自分の人生がどうなってるかなんてまったくわかりません。昨年のVJC大阪大会に出たときには、まさか1年後に宿の仕事をしているなんて思いもしませんでしたし。でも、思いもしないことが起きるのが人生です。

また走れない環境になっている可能性だってゼロではありません。ただ、走れる環境があるなら、ここが踏ん張りどころと考えて、トレーニング中心の生活に移行します。走るためだけに1年を使って失ったものを取り戻します。きっとここがランニング人生のラストチャンス。

失敗レースを積み重ね続けていますが、中途半端にいい結果が出るよりは、この方がいいのかもしれません。人間は危機感がなければ頑張らないと生き物ですから。しばらくはまた仕事中心の生活になりますが、今の気持ちを忘れることなく、来年2月を迎えるとしましょう。

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