出雲駅伝でドーピングが起きたことについて:速いタイムで走ることと速く走ることは違う

スポーツとはいったい何なのか。正解はないのかもしれませんが、定期的にテレビ番組でもいいので徹底した討論がされるべきなんじゃないかと思っています。勝利至上主義があまりにも広がりすぎていて、確実に間違った方向に向かっているような気がするので。

タイトルにあるように学生の大会である出雲駅伝で、ドーピングによる違反が発覚しました。どのチームの誰が該当するのかなどはまだ公表されていませんし、故意だったのか不注意だったのかもわかりません。でも、オリンピックでも起きないような違反が大学駅伝で起きたのは事実。

以前も少しお話しましたが、大学駅伝というのはプロの戦いだと私は考えています。だからシューズなどの道具の有利不利は当然ありますし、そこに正々堂々とか平等とかを持ち出す方がどうかしています。ただ、ドーピングとなると話は変わります。

いやドーピングをすること自体がプロスポーツの証でもあり、それが発覚するのが学生の甘さとも言えます。ドーピングというのはとても難しい話で、今どき禁止成分をまともに接種するような選手はプロにはいません。

でも大なり小なり、体にプラスになる何かを摂取していることを完全否定することはできません。禁止されていないなら大丈夫なのでは?と思うかもしれませんが、禁止されていないのは、まだ知られていない成分だったりするだけのこと。

なぜそんなことを断言するのかというと、自転車の世界ではほぼ黒といえるグレーな薬物使用があたり前のように行われていた歴史があり(現在はどうなっているかは不明)、ドーピングをしなければ勝利できないような状況にありました。

同じようなことがマラソンや駅伝の世界で起きないとは限りません。いや、勝利至上主義においてはドーピングをしていないと考えるほうが不自然です。別に私はドーピングを肯定しているわけではありません。現実に目を向けるべきだという話をしているだけです。

チームも個人もそこまでして勝ちにこだわらなくてはいけない現実。なぜそこまでなってしまったのか。それは単純に「お金になるから」です。大学の経営者もプレッシャーをかけるのでしょうし、スポンサーになっている企業からのプレッシャーもあるはずです。

どちらも「ドーピングをしてでも勝て」なんてことは言わないでしょうが、結果が出なければ監督はクビになるでしょうし、年間予算も減らされるはずです。勝たないことには目立てないわけで、正しくない選択をしてしまう気持ちもわかります。

高反発プレートを搭載された子供用シューズが売られており、スポーツの世界はいったいどこに向かおうとしているのかと、ちょっと憂鬱な気持ちになります。子どもがシューズによって速くなったことに、いったい何の意味があるのか。

子どもがやらなくてはいけないのは、自分自身のスキルを伸ばすこと、走れる体を作ることです。誰よりも速いタイムで走ることではありません。でも、本当のところは大人だって同じです。速いタイムで走ることと、速くなることは違います。

ドーピングをするということは、自分自身を諦めることとも言えます。もうこれ以上速く走れるようにはならない。だから薬に手を出してしまう。一般のランナーの中にも安易に鎮痛剤を服用する人もいますが、そこまでして手に入れたものに本当に価値があるのか、よく考えてもらいたいところです。

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