青梅マラソンの存在を知っていながら、これまでエントリーしなかった理由は「30km」という距離にあります。マラソンシーズンまっただ中、中途半端な30kmという距離を走ることに、意味を見つけられなかったのです。
ただラン仲間でクレイジーランナーの三州ツバ吉さんの応援と取材を兼ねて青梅マラソンに行ったことで、青梅マラソンが「30km」である意味がなんとなくわかってきました。
青梅マラソンはストレスを感じることなく走れる大会
青梅マラソンに集まるランナーは成熟したランナーが多く、参加者の平均年齢も他の大会に比べて高いように感じます。他のマラソン大会に比べて、会場に浮かれた雰囲気がみられません。
マラソンブームと言われ続けていますが、さすがに50回の歴史を持つ青梅マラソンには、ブームとしてのふわふわしたマラソン大会という空気はありません。どっしりとブレることなく青梅の地に根付いたひとつの文化になっています。
大会運営にはまったく無駄がなく、かといって肩肘張っているのではなく常に柔軟さがあるように感じます。大会スタッフがそれぞれに責任をもって、自分の判断で目の前に起きていることに応対しています。
あまりにあらゆることがスムーズに行き過ぎて気づかないことですが、「ストレスを感じることなく走れる大会」というのは実はそれほど多くはありません。
比べることができない30kmという距離
参加するランナーも集中しているものの、入れ込み過ぎた状態にはならず、ほどよい緊張感を保っています。
これは「青梅マラソンは青梅マラソンと向き合うしかない」からではないかとわたしは感じています。他のマラソン大会にはサブ3、サブ4、自己ベストを達成させよう、そんな気持ちを持ったランナーがほとんどです。
同じ42.195kmでも東京マラソンと北海道マラソンではコースも違えば、コンディションも違います。なのにどうしてもフルマラソンという枠で比較してしまいます。
「東京マラソンで4時間10分だったから北海道マラソンでは3時間50分を目指したい」この気持が入れ込み過ぎを誘発します。少しでもスタート地点に近い場所からスタートしようと無理に前に行く人がいたりするのもこのためです。
でも青梅マラソンは比較対象がありません。30kmという距離だけでなく山に向かって走り、最も高い場所で折り返すという、特殊なコースも、青梅マラソンの独自性を確立する要因となっています。
マラソン大会が生き残るには独自色を示す必要がある
マラソンブームが終焉を迎えて、定員割れが見られるようになっても青梅マラソンは絶対に生き残る大会です。それは他の大会と比較できない独自色があるためです。
東京マラソンと横浜マラソンのどちらを選ぶかを悩むことがあっても、青梅マラソンと横浜マラソンを比較することはありません。青梅マラソンにエントリーする人は「青梅マラソンだから走りたい」という気持ちを持っています。
青梅マラソンは数あるマラソン大会の中でも比較対象がほとんどない大会です。30kmという距離、難易度の高いコース、そしてフレキシブルな応対をする運営スタッフ。そこに50年という歴史が積み重なった結果「青梅マラソン」というポジションを確立したのです。
もし青梅マラソンがフルマラソンだったとしたら、他のマラソン大会の中に埋もれてしまっていたかもしれません。
いま無数にあるマラソン大会の中に埋もれないように運営するにはどうすべきか。ひとつの答えが青梅マラソンです。青梅マラソンは市民マラソンのひとつの完成形なのです。完成形でありながら時代とともに変化することも忘れない。
その軸にある30kmという距離。
他の大会と比較できないことがランナーにも問いかけます。「目標タイムとか自己ベストとか本当に大切?」「今日この日のベストをつくすことがマラソンの面白さだと思わない?」
青梅マラソンでランナーはマラソン大会の概念からも開放されます。走ることはもっと自由でいい。マラソン大会ももっと自由でいい。青梅マラソンはそれを示してくれます。
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