島根半島を横断してきた【よみがえった片江古道で迷子になる】

国宝松江城マラソンの翌日、以前取材でお世話になった島根半島にあるゲストハウス「かたゑ庵」さんへ。私の人生で転機になる出会いというのがいくつかありますが、かたゑ庵の青戸さんは間違いなくその中の1人。出会いはちょうど1年前で1回しか会っていませんが。

もし青戸さんに会っていなかったら、私が伊豆高原の宿でお手伝いすることはなかったかもしれません。人を迎えることの魅力について教えてもらい、そういう生き方も魅力的だと思わせてくれた人です。そして何よりもポジティブ。

そんな青戸さんの仲間が、片江にかつてあったとされる古道を地元の人たちと、よみがえらせるプロジェクトを行っていたのですが、ついに完成したということで、それは行ってみなくてはと、朝から山に入ってきました。

片江古道は日本海と中海を1直線に繋ぐ道で、江戸時代には地域の人たちにとって重要な道だったわけですが、道路ができ、車での移動があたり前になったことで、忘れられた道になってしまいました。それを人の手だけで修復するわけです。

しかも、どこに道があったのかわからないわけです。道というのは人が歩いてこそ道であり続けるわけで、使われなくなった古道は、自然と道ではなくなっていきます。だから、その修復にはとんでもない労力がかかわるわけです。

なぜ、そんなことがわかるのかというと、片江古道の途中でロストして、道なき道を歩き続けたから。分岐点がわからずに歩いていたら、まったく別のところに向かっていたんです。でも、歩いているときには、道のように見えるんですね。

まぁけもの道なんですが、片江古道も元はけもの道みたいになっていたとことを、人が歩けるように整備したのは容易に想像がつきます。それはもう「情熱」の塊であり、興味本位でできるようなことではありません。

この地域の人たちには、どうもやると決めたら、最後までやり抜く気質というものがあるようで、米子から境港に用水路を引いた米村所平さんや、治水のために42年間岩を削り続けた周藤彌兵衛さん。宍道湖と日本海をつなぐ人工の川「佐陀川」に似た情熱を片江古道から感じます。

効率ばかり求めがちな私たちが、いつの間にか忘れてしまったものがここにはあります。少なくとも都会に出ていくのではなく、この土地で根付いている人たちに芯の強さのようなものを感じるのは、厳しい冬を毎年のように耐えしのいでいるからなのでしょうか。

ただ、東北と違って冬がそれほど長くないから活動できる時期も長く、時間をかけて何かをやり抜くにはちょうどいいのかもと勝手に思ったり。ロストしたのは完全に私のミスなんですが、ロストしたからこそ感じられたことがあって、それも縁のひとつなのかもしれません。

今回の松江遠征はとにかく「縁」がひとつのキーワード。青戸さん以外にも久しぶりに再会した人が何人もいて、そして毎年でも通いたくなるような居酒屋に出会い、マラソンも含めてたくさんの情熱にも触れることができました。

間違いなく、これからの私の人生において意味のある遠征になりました。来年からは新しいことを始めますが、確実にプラスになります。そして、やっぱり人に会うことは大切だなと。連絡するか迷っていた人にも年内に会いに行くとしましょう。

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