内に向いている感じ【コロナ禍が台湾の人たちに与えたもの】

まだ1日しか台湾にいませんし、それほど色々と回れたわけではありませんが、それでもしっかりと歩いて自分の目で台湾の今、台北の今を見てきました。まず感じたのは、多くの人が心理的にクローズしているということ。

あくまでも私のイメージなんですが、台湾の人ってオープンな気質の人が多い気がしていたのですが、街を歩いていると閉ざされた世界で暮らしている人の顔をしています。戒厳令下とはまた違うのでしょうけど、どことなく閉塞感があります。

以前は買い物に行っても、日本語で話しかけてきてくれることも多く、中国語がわからないとなると、上手く英語を交えながら話をしてくれたのですが、今回はそもそも日本人がいるわけがないという頭になっているからなのか、日本語で話しかけてきたのは宿と小籠包のお店くらいです。

宿のおばちゃんはパワフルで、相変わらず台湾人のオープンさを備えていましたが、街を歩いている人や、ショップの定員さんなどは、中国語で通すのがあたり前になっていて、心理的にも日本をはじめとした海外は存在が消えてしまっているように感じます。

でもそれはきっと日本も同じなんでしょう。いや、何らかの形でクローズした経験のある国においては、どうしても自分と向き合う時間が増えていますし、外国人と接することもほとんどないから、自然と内を向いてしまっているのかもしれません。

ナショナリズムはこういうところから生まれるのかなと思ったり。私もコロナ禍で日本を随分と好きになりました。美しい景色があり、そこで暮らす人がいるという発見があったのがコロナ禍であり、その経験は私の生き方そのものに影響を与えているはずです。

もうひとつ別の発見もありました。びっくりするくらい、中国語で話すことに対して臆病になっています。以前よりも覚えている単語も増えていますし、中国語に触れているつもりですが、いざ実践しようとするとワンテンポ遅れてしまったり。

やっぱり言語って使っていないといけませんね。とっさにひと言が出ません。それも簡単なひと言すら切り出せないわけです。これはもう、中国人か台湾人の彼女でもつくって、毎日中国語のコミュニケーションをするしかないかもしれません。

もともとは大した語学力でもなかったのですが、それでも自然と言葉が出る瞬間もありました。単純な語学力は間違いなく上がっています。中華圏で初めてタクシーの運転手さんに言葉だけで行き場所が通じましたし。

いずれにしても、まだ1日の限られた時間で感じたことで、これから台北マラソンを走ってみて、別のことを感じるかもしれません。日本人だということがわかるようなウェアで走るので、声をかけてくれる人もいるはずです。

できることなら私からも声をかけたいところですが、こればっかりはどうなることやら。もっとも何かは起こるはずです。起きなくても感じられるはずです。その確信があるから台湾までやってきたわけですから。

願わくば、ポジティブな未来を感じさせるようなレースになるといいなと。具体的には何も思い浮かんでいませんが、少なくとも「また来年走りに戻ってくる」と思えればいいかなと。ただ、台北はこの季節はずっと雨なんですよね。

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