旅をする理由【働くことと旅することは生きるということ】

北海道での仕事を終わらせて、最初の北海道訪問になります。別に何か特別な思いがあるわけではありません。何人かお世話になった人と会う予定ですが、1ヶ月もしないうちに私を取り巻く環境は変わり、お店のことを考える余裕もなくなっています。

完全に自分のことではなくなっていますし、私にできることなどもう何もありません。なので特別な感情もないのですが、だからといって北広島をスルーするほど薄情でもなく。お世話になったわけで、たくさんのことも学ばせてもらいましたし。

そもそも今回の北海道は北海道マラソンの応援と取材で、たまたま店舗もそれほど長くは営業しないから会えるわけで、試合の日で遅くまで営業となれば会えませんでした。こういうのは巡り合わせみたいなもので、縁がある人はどうしたって会えるようにできています。

北海道の仕事は5ヶ月でしたが、それだけの期間でも暮らしていると、勝手知ったる地になるもので、以前のようなワクワク感はありません。5ヶ月間はほとんど仕事しかしていませんでしたが、右も左も知らなかった頃とは明らかに違います。

こういうのを慣れというのかもしれませんが、47年も生きているとたくさんのことに慣れていくものです。国内では訪れたことのない県庁所在地のほうが圧倒的に少ないですし、旅をするということ自体に慣れ過ぎてしまったなと思うことはあります。

初めて海外旅行に行ったときは、不安もありましたし、ワクワクもありました。初めて飛行機の予約をしたときや、宿の予約をしたときのことはもう覚えていませんが、それなりに緊張したはず。それは私にとって心地のいい刺激で、そして私はずっと刺激を求めています。

人生の目的とか目標とかはありませんが、旅をすることは私にとって「働く」と同じくらい大切なことのような気がします。私にとって働くことは生きることなので、旅をすることもまた生きること。旅ができなくなったとき、自分がどうなるのか興味があります。

旅で得たものをきちんとアウトプットできているか、創作に何か活かされているか。それはわかりません。まったく無関係とは思いませんが、創作をしようと思って旅をしたことはなく、何かを得ようと思って旅先を散策するようなこともありません。

そういうストイックな部分が私には足りておらず、いわゆる成功者になれないんだろうなとは思います。作家さんにしても音楽家にしても、本物となる人は止めることのできない創作欲があり、そのために人生を賭けて作品づくりと向き合う。

私にはそんな覚悟もありませんし、旅にそんな複雑なものを持ち込みたくもありません。ただ、旅をしたことで経験を積み、そしてそれは自然と私の創作活動に影響を与えるわけです。それくらいのスタンスでいいかなと。誰かと競い合いたいわけではありませんので。

結局、私は恵まれているわけです。大した苦しみもなく人生を楽しみながら、好きなように生きている。そんなことが許される人間なんて、この世界にどれだけいるというのでしょう。それも裕福なわけでもなく、むしろ低所得者に分類される人間なのに。

旅ができるということは自由であるということ。いつだって好きなところに旅をできる人生でありたいし、そうなるように道を選ぶ。今年は不自由さの中に身を置くことになりましたが、それでも旅はしっかりできている。そのことが私の支えになっている気がします。

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