チェックアウトは午前7時。睡眠時間4時間半。寝られただけ良しとしよう。
前日の余韻などまったくなく、仲良しの上まぶたと下まぶたを引剥がしてなんとか起床する。ホテルから嘉峪関駅までは約3km。昨日チャーターしたタクシーの運転手がすでに待機している。
中国に限らず、海外のこういうところが好きだ。縁を大切にするというか、ともに時間を過ごしたものは仲間というような感覚。びっくりしたのはこの運転手、駅までのタクシー代を請求しなかった。
「気にするな、また来てくれ」
中国語はまったく分からないが、そんなことを言われた気がした。
こういうのをおもてなしと呼ぶのであって、「見て見て!日本のおもてなしすごいでしょ」なんていうのはどこか間違っていると思うのはわたしだけだろうか。おもてなしの心は決して日本人だけのものではない。
嘉峪関から向うのは西安。距離は約1500kmで、もちろん寝台車ではない。いや正確には謝菲だけが寝台車だ。例によってわたしたちのチケットは一度キャンセルをしてしまったために寝台車の切符を買えなかったのだ。
だが、わたしにとって寝台車かどうかなんてもはやどうでも良いこと。21時間座っていれば西安にはたどり着ける。座るべき椅子があるだけでもありがたい。
しかも今度は朱さんも一緒・・・のはずだったのだが、たしかに座席は連番。ただボックス席のちょうど背中合わせ状態。連番の意味ねぇと思いつつも、ここは中国。そういうこともある。
とはいえ食事は食堂車に行けるし、ちゃんと座れる椅子があるだけで随分違う。窓からの眺める景色はどれだけ見ていても飽きることがない。実際のところわたしが見ていたのは、まぶたの裏側に映る夢の世界だったが。
謝菲は相当疲れているようだ(人のことは言えないが)。食事に誘うつもりで彼女の席まで行ってみるものの、いつ行っても寝ている。さすがにエリート中のエリートにはこの電車の旅はつらいのだろう。
何度か訪れたうち一度だけ起きていたが、食事はおなかが空いていないとかで軽く断られる。先日も書いたが、中国人の若い子たちは、周りに合わせるというようなことをあまりしない。空気を読むなんてこともない。
情に厚いタクシーの運転手と、終始毎マイペースを貫くエリートアスリートの謝菲。どちらも中国人。日本人にいろんな人がいるように、中国にだっていろんな人がいる。
西安に到着したのは午前6時くらいだろうか。
駅を降りてすぐに、目に飛び込んできたのは、漫画の世界から飛び出してきたのではないかと思うような城壁と、人が多く賑やかな駅前の風景。わたしのよく知っている中国の町に戻ってきた気がした。9月初旬だったということを思いださせるような、肌にまとわりつくように湿った空気。
新疆や嘉峪関に静かな街もいいけど、西安のようなごちゃごちゃした街も、いつだってわたしの心をワクワクさせてくれる。
ただし、今回は圧倒的に時間がない。この日の昼過ぎには西安を離れて、最終目的地の北京に向うことになっている。わたしたちに与えられた時間は7時間。そのうち1時間以上はメイクに必要な時間。
メイクに関してだけは女性を同情する。
あんなに時間のかかるものはなくてもいいのにと思うものの、上手にメイクした女性を見るとドキッとしてしまう自分もいる。メイクによってより美しくなれるならメイクはあったほうがいいに決まっている。
ただ自分がメイクをしなくて済むということには感謝している。
西安の城壁は世界最大の古代城壁で、明の時代1370年代に作られた城壁だ。1周約14kmで西安の街をぐるっと囲んでいると言いたいところだが、実際は西安の街のほうが何倍も大きいため、現在は西安の街に囲まれているただの壁となっている。
1周14kmと聞いてピンときた人がいるなら、それは間違いなく根っからのランナーかマラソン馬鹿のどちらかだろう。
そう、ここを3周走るとフルマラソンの距離になる。実際にどのように行うかは決まっていないが、この西安でもマラソンイベントを開催するかもしれない。万里の長城のない西安の街にまで撮影に来たのは、そういう未来を見据えてのことらしい。
時間があるならさっと1周まわって来たいところだが、いかんせん時間がない。撮影のための使える時間は2時間もない。好きなように走っている場合ではないのだ。
とはいえ、撮影が始めると反対に時間など気にせずに、全員がとにかくクオリティの高いものを作ることに集中することになる。中国人のカメラマンたちに妥協の二文字はない。
「ピントはここに合わせてるのだから、ここにちゃんと着地して走りぬけろ」
いや、さすがにそれは無理だと言いたくなるような指示が出るが、出来るかどうかなんて問われていない。出来るのだはなくやらなくてはいけない。
謝菲も最初の頃よりも笑顔が増えたような気がする。わたしがただそう思いたいだけかもしれないが。少なくとも写真に写る姿には自然な笑みが増えている。
もしかして最初の数日は緊張していたのかもしれない。
それぞれがベストを尽くし、最高のものを作り出す。モノづくりをするときにわたしが理想としていた形がここにありました。
しかしながら時間がないことには変わりなく、撮影が終われば慌ただしく後片付けをしてホテルへと戻る。
古都西安でのわたしたちの行動範囲は約500m。なんて贅沢な旅なんだろう。美味しいところだけちょっとだけ箸をつけて食べるという、どこかの時代の皇帝の食事のような贅沢っぷり。
繰り返しすぎて飽き飽きしているかもしれないが、西安こそまたいずれ戻って来なくてはいけない。おそらくわたしが美味しいと思って箸をつけた部分以外にももっと美味しいものがこの街には隠されている。
来年の万里の長城マラソンのあとは西安にしよう。来年はもう完全にサポートに回るので、大会後には疲労もそれほどないはずだ。5kmに出場して優勝したにもかかわらず、ブーイングされるというひどい仕打ちは一度だけでいい。
中国の歴史好きのわたしにとって西安は憧れの地。万里の長城マラソンのサポートが終わったら、西安城壁マラソンを1人でしよう。そして西安の街をじっくりと歩くとしよう。ここが都だった時代を思い浮かべながら。
撮影を終えて慌ただしくホテルでシャワーを浴びて、西安の街をあとにする。
ここからはまた座りながらの1200km、16時間の旅。今度は謝菲も一緒の3人横一列。謝菲は16時間も耐えられるのだろうか?
なぜだろう?嫌な予感しかしない。
スポンサーリンク
コメント