エスコンフィールドに出店する三州屋さんの仕事でてんやわんやなんで、できることを何でもしようと思っていたら、24時間戦えますが状態になりつつあります。そこに追い打ちをかけるように、とあるマラソン大会とつながろうとしたりして。
もちろん三州屋の仕事が最優先で、昨日はある文章のチェックを頼まれました。依頼している会社のライターさんが作った文章だったのですが、何度もチェックした後だというので、私は念のためのチェックのつもりでした。
ただ、そうも言ってられないくらいの内容だったので、修正案となぜダメなのかを相手のプライドが傷つかないように注意しながら作成しました。ライターというのはプライドが高い人が多く、大幅に修正するとへそを曲げてしまうので、そのあたりもケアしつつ。
私は基本的にライティングしたものを納品するだけなので、他のライターの文章を目にすることはほとんどありません。それが今回は発注する側の立場になって、チェックしてみたら思ったよりも他のライターは書けてないんだなと。
もちろん、その人がたまたまそうだったのかもしれませんが、ちゃんとお金をもらっている人でも、書ける人は本当に限られていて、きっと数年後には多くのライターがAIに仕事を奪われてしまうのでしょう。すでにChatGPTで書かれた記事などもあるようですから。
でも、私自身はChatGPTに負ける気がしません。書いている質がまったく違うから。10年後にはどうなっているかはわかりませんけどね。私が質だと思っているものさえ、AIが軽く凌駕する可能性もありますし、質が低くても量でなんとかできてしまいますので。
文章で人に伝えるというのは、私が思っている以上に難しいことなのかもしれません。そして書く能力だけでなく、読み取る能力も欠けているライターがいるわけです。その結果、世の中に間違った情報が広がっていく。
そして、読み取れない人がそれを広めていく。私としてはありがたいことですけどね。きちんと書ける人の重要性が上がりますので。問題は私があと何年ライティングをしているかということ。今のドタバタをしのげたら、また違う仕事が舞い込んでくるんじゃないかと。
店舗立ち上げの仕事だって、実はライターに求められることと対して変わりありません。読み手のことを考えずに作った書類を解読して、他の人が使えるように導くなんてまさにライターの仕事です。少なくとも私はそういう仕事ばかりやってきました。
RUNNING STREET 365に関しては、7年以上もほぼ毎日1記事書いていますし、伝えることに関してはきっとそれなりに誇りに思ってもいいのかなと。ただ、調子に乗るといいことはひとつもないので、まだまだ未熟だと言い聞かせていますが。
未熟なのは事実ですしね。伊集院静さんや松浦弥太郎さんなどの文章を読んでいると、私の文章の奥行きがいかに浅いかを痛感させられます。だからこそ「私なんて」とずっと思ってきたわけですが、そこそこ書けているのかもしれないと感じたのはひとつの収穫。
文章を書くことが自分の武器だと、これまで考えることもなかったのですが、これからはもう少しアピールしてもいいのかもしれません。ただ、私なんぞの文章が世の中に出回るのもちょっと恥ずかしいものがあるので、程々にね。