チームで仕事をする上で大切なのはビジョンを共有することではないだろうか

世の中にはいろいろな仕事があり、働き方もいろいろあるのだなと感じるできごとがありました。詳細は伏せておきますが、私自身も会社員と派遣社員、フリーランスといった様々な立場で働き、さまざまな角度からビジネスを見てきましたが、それぞれの職場ごとの文化があり、外から見ると面白いものです。

「ビジネス」と書きましたが、「仕事」と「ビジネス」は似ているようで違うんだなと思うことも。ビジネスは合理性が重要で、仕事は義理人情もしくは浪花節の世界というのが私の印象。どちらがいいといことではなく、それぞれに色があるというだけのこと。

難しいのはビジネスと仕事は相容れないケースが多く、浪花節で仕事をしてきた人はビジネスの世界には上手く溶け込めず、ビジネスでやってきた人は、義理人情重視の経営に馴染めない。これってあんまり意識されないんですが、転職をするときにミスマッチが起こる原因のひとつでもあります。

私のように社会人のスタートが派遣だった場合、求められる働き方に合わせることができるのですが(他の人のことまでは知りませんが)、それなりの会社でしっかりと教育を受けてきた人は、その会社の色がベースとなり、他の色に馴染むのが難しくなる。

ただ最近は浪花節の働き方をする人は減っていて、絶滅危惧種と言っても過言ではない……って思ってたんですが、北海道の仕事を始めてから、自分の視野が狭かったことに気付かされました。接客業だとまだまだ浪花節経営が中心で、いまかなり新鮮な気分です。

そんな働き方もあるんだと頭で分かっていても、実際にそういう人たちと協力して同じ方向を向こうとしたときに、合理的に進めようとする自分が、周りから浮いているのを強く感じます。浮いていてもやるしかないので、できるだけ衝突しないように進めますが。

最終的に上手く纏まればいい。それは事実で、接客業の場合は特にその色が強く、合理的に進めて、上手く着地したい私のようなタイプは心が落ち着かず。文化の違いってすごいなと。でもかつての高度経済成長を支えてきたのは間違いなく浪花節。

合理性を語るようになってから、日本はおかしな方向に向かっていったような気がします。働き方が窮屈になって、なんでも理屈で語らないといけない。人間なんて賢そうなふりをしてるけど、犬や猫と同じ本能を持った動物なのに。

今は多様性とかいって、さらにおかしな方向に向かっています。多様性が良くないのではなく、きちんと議論されずに「多様性」という便利な言葉がひとり歩きしていることがよくないのですが、誰もそれを注意することもなく、それぞれが都合のいい解釈がされています。

合理性もそうですね。合理性という言葉はみんなが当たり前のように使っていますが、その本質については語られない。だから、それぞれの思う合理的な方法で対応しようとするわけです。それが組織の中でも起こるから、合理的でなくなるわけです。

そうなってくると、やはり注目されるのは義理人情の世界。「合理的なだけではダメなんだ」みたいな話がそろそろ出てきて、もっと人間らしく働こうなんて風潮が出てくる。でもそれもやっぱり失敗する未来しかありません。「人間らしく」の共通認識がないから。

同じビジョンを共有すること。結局大切なのはこれに尽きるのかもしれません。そのために頭を下げて協力してもらう。言葉にするのも大事ですね。そこは私の得意分野なので、もう少し頑張らなくては。三州屋だけでなく、他のことも含めてですが。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次