河童の調理補助体験【できることはとにかく何でもやってみる】 

ついにキッチンに立つことに。いや、ただの調理補助で以前も1回だけ補助に入っているので実際には2回目なんですが。飲食店の仕事をしていればいろいろあるもんです。できることが増えるのは嬉しいことですし、人に話せるネタも増えるのでOK。

調理補助をしながら、妹が調理学校に通っていたことを思い出しました。呼び出せばよかったと思いながらも、4児の母なのでもちろん断られるんだろうなと自己解決。まさか調理の道に進んだ妹が事務作業で、私が飲食店で働く未来があるとは思いもせず。

人生万事塞翁が馬。思い通りの人生なんてどこにもなくて、いつでも想像とはまったく違うところに向かっています。47年も生きていればそれが普通だということがわかるのですが、若い頃は無駄に情熱があって、自分で道を切り開いていこうとしていたなと。

20代の頃はとがってもいましたし、何者にもなれるなんて思っていたのですが、絵に書いたような若気の至り。確かに未来は開けていて、何にでもなれる可能性はありましたが、自分に選択肢がないことに気づいていなかった。

いや、人によっては力業で自分の未来を切り開いて、なりたかった自分になれるのでしょう。私はその器ではなくて、とにかく流されるように生きるタイプ。だから「まさか」の未来にばかり遭遇するわけです。そしてそれを楽しんでいる自分もいます。

人生は経験をどれだけ積むかというゲーム。自分のきめたルートをただひたすらに進むのも悪くないですが、それだと経験の幅が広がりません。たとえばプロアスリートはその競技については経験が豊富ですが、それ以外のことについてはほとんど経験がないわけです。

ひとつの競技に打ち込めるというのは稀有な経験ですので、それで十分だという考え方もありますが、私はそれよりも幅広く経験を積む方が面白いと考えています。もっとも、ひとつの競技に打ち込めなかった自分を無理やり自己肯定しているだけかもしれませんが。

人と比べることに意味はありませんが、私は同年代と比べて比較的多くの経験を積んでいると思っています。私よりも経験豊富な人がいくらでもいますが、これまでやってきたことを物語にしたら収集がつかなくなるくらい、私は複雑な人生を送っています。

初めましての場所では、自分をどう紹介すればいいのかわからなくなり、Twitterの自己紹介欄は主だったものを書き出すだけでも文字数が足りません。そのことを自慢したいわけではなく、それくらい経験を積むと人生が楽しくなると言いたいだけ。

ランニングの情報発信をして、ライティングもして、台湾や中国に何度となく行って友だちもいる。伊豆高原で宿直をしたり、北海道で飲食店の立ち上げ手伝いの一環として調理補助までする。それでいて機械設計もその気になればやれるわけです。

こうなってくるとちょっとしたトラブルも、大抵のことは自分で解決できてしまいます。むしろ、自分自身にはトラブルが起きることもなく、誰かのトラブルをスマートに解決するので、どこに行っても重宝してもらえます。人生で誰かに頼られるほど嬉しいことはそうそうありません。

というわけで、とりあえず調理補助デビューです。しかも一流の料理人についての仕事なので、「◯◯さんのもとで修行しました」と言えるわけです。嘘ではないので……いや、そんなこと言いませんよ。そんなことしなくても、私はまたきっと予想しない未来に進めますから。

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